タヌキの平常心  2¥

2019  3  19

 

朝飯のパンにツナ缶とマヨネーズをたっぷり

 

塗って、その上にまたジャム(何でもいい)を

 

載せて食べている男がいる。

 

90歳くらいのおひとりさまだ。

 

昔、一人暮らしを始めたばかりで、鍋もろくに

 

無し、近所の小さなよろず食品店で手に入る

 

ものを取り敢えず口に入れていた。その頃の味

 

が今、なつかしく蘇ってきたのだと彼は言う。

 

兵隊さんに、確かな誇りと自負心を与えるのが

 

政権の義務だとか、そのための法整備が急務

 

じゃとか、法の改正には国民の理解がぜひとも

 

必要とか、言い出した政治家がいる。

 

彼の祖父(政治家)の時代にも、憲法9条を骨抜

 

きにしようとする圧力(アメリカとの合作で)

 

はあったが、当時の国民はそれを許さなかっ

 

た。貧乏国が戦争に走ったら、国民がどんな

 

ひどい目に会うか、みんなよくわかっていた

 

から。

 

さて、ほどほど金持ちニッポン国では、勇まし

 

げな昔の「誇りと犠牲を父なる神にささげよ」

 

式のわけのわからぬ特攻精神が流行するもの

 

だろうか?ツナマヨにジャムみたいな味で、

 

しかも食べたら死ぬ。まともな味覚の持ち主

 

なら、食べたくないでしょう?

 

教育勅語のようなむかしの味を勧める人は

 

軍国少年か平常心を失って昔帰りをしたご老人

 

だろう。

 

施政方針演説の中で、自衛隊への応募者が減っ

 

ているのは「地方政府が自衛隊員募集に非協力

 

的だからいかんのだ」とねぼけたことを言われ

 

て、「何を言ってる!子どもの数が減っている

 

のが原因に決まってるじゃないか!」と、当の

 

自衛隊幹部の発言。わかっとらんなー。

 

最近読みなおした本「軍国主義の歴史」の中に

 

次のような記述がある。

 

<<国民のために軍備を整えることや兵を訓練

 

すること、そのための予算を確保することと、

 

軍国主義とは全く違う。前者は国民を守り、

 

後者は国民を滅ぼず。>>

 

[古本ばっか読んでやがって!」と言われるのが

 

くやしくて、「ワンピース」の第1巻と、

 

第92巻(なんと!)を、2冊だけ買ってきて」と

 

ウサギさんに頼んだら、近所の書店には

 

全然ないという。世界中で大人気のこの本、

 

全巻揃いで買ったらいくらかかるだろう?

 

 

私が若い頃読んだ「古本」で云えば、

 

スティーブンスンの「宝島」や「誘拐されて」

 

の世界だろうか。「全然ちがうぜ。読みもしな

 

いで、いい加減なこと言うな」って、その

 

通りだね。

 

NETの長々しい解説によれば、(何しろ92巻!)

 

世界一の海賊をめざして仲間とともに世界の

 

海を渡る(時には天上界や深海にも)冒険物語で

 

あるらしい。

 

そこには「機動戦士ガンダム」に見られるような

 

一種の「特攻精神」の影はなく、タヌキじじいも

 

安心した次第。

 

 ー

タヌキの平常心  3   3 26

 

 

道路の日陰側(夏は)を歩いていると、向こうから

 

お年寄りが来る。お年を推測して、道を譲って反対側

 

へ移るかどうか、考える。(これまさしく平常心)

 

狭い歩道を下っていると、向こうからチビ王子様と

 

お母さんのカートがやってくる。この場合、1も2もな

 

く、こちらが車道へ出る。(これも平常心)車道へ

 

出たらあぶないって?だって、出なかったら

 

丸木橋の上の2匹のヤギのバトルみたいになって

 

しまう。矛盾を承知で正論からちょっとはずれるのも

 

平常心。

 

交差点で、信号が変わったからと、ゆっくり一歩を

 

踏み出したら、左折車がいきなり突っ込んできた。

 

バカヤロメ!そんなに急いで歩行困難老人に勝ち

 

たいか!(だから交差点はきらいだ)

 

だが、事故ったとして、彼はいうだろう「轢くつもりは

 

なかった」それが彼らの平常心。「譲ったら負けだ」

 

ここでまた政治家の悪口。「宇宙防衛も視野に入れ

 

て」みたいな発言があった。交差点の猪突ドライバー

 

並みのキャベツ頭め!

 

スマホを持たぬは人間に非ず、みたいな世の中、

 

タヌキはまだ持っていない。メールアドレスは持って

 

るが、もっぱら買い物用。銀行のキャッシュカードも

 

持っていない。(番号を覚えられない)

 

この間,自動振込口の変更届をnetからやろうとしたら,

 

やろうとしたら、イロイロ書き込んで最後のところで

 

「キャッシュカード番号記入」(必須)ときた。

 

大体50年近くもの零細なお付き合いの結果、銀行さん

 

は通帳なんか役にたたない、ハンコも不要、キャッシュ

 

カードだけが本人を証明する、とでもいいたげ。

 

結局、支払い先の会社から申請書を取り寄せ、郵便で

 

送る。タヌキとしては別に不便でも不満でもないが、

 

キャッシュレス社会とやらに突っ走る日本国全体が

 

オッチョコチョイの桜祭りのように見える。

 

今に給料も現金化できなくなるんだろうか。そして年金は

 

昔のように配給切符で配られたりして。

 

配給切符といえば、駅前のスイトン屋に行列を作って、

 

配給切符を渡して、うすい薄いダシ汁にうどん粉の玉

 

だけが浮いてるのを食べた・・・と、こういう話が一番

 

若者にきらわれる。

 

きらわれたくないからといって、黙っていちゃいかん。

 

老醜もさらせ。笑い飛ばせ。あと20年もすれば、あなたも

 

老人人口に参入だということを忘れず、老人のために

 

日陰のある歩道を、赤ちゃんたちのために安全な歩道を、

 

せめて残して欲しい。

 

老醜といえば、この間駅のホームでチョッピリズボンを

 

濡らしてしまった。時を選ばず急発進するのをとめられない。

 

それでふいに何十年も前に幼児を連れて海まで行ったこと

 

を思い出した。帰り道のホームで電車を待つ間、まだオムツ

 

がとれたばかりの子はタヌキの腕の中でぐっすり寝ている。

 

で、温かいものが両腕を伝って下に落ちるのを感じた。

 

側にいた他人がゲタゲタ笑っている。かなりの量だから、

 

目立つが、ベンチの上で着替えをさせればそれですむ。

 

老人は常に、腹に水分を溜めないように計画的に「途中

 

下車」しなければならない。ここで肝心なのは、あくまで

 

自分なりのペースで行く、ということだ。

 

リハビリのために杖をついて散歩している人と頻繁に出会

 

う。一歩がほんの数センチかと思われるのに、辛抱強く

 

歩いておられるのを見ると、その意志の強さと明るい表情に

 

感服する。かくありたし。

 

 

タヌキの平常心   4

 

2019   4

 

 あるタヌキ友達が、日頃ものの分かった発言が

 

多かった人だと思っていたら、この頃「やっぱり

 

チョウセンだなー」的言い回しが出てきた。

 

「三つ子の魂、百まで」なんて昔は言ったもんだが、

 

幼児期に育った環境というものは、おいそれと

 

抜け難く、頭の芯にしっかり残っているものらしい。

 

 彼は終戦時、中学生だった。家は裕福で、親は兵隊

 

にもとられず、戦後の飢餓ともあまり縁のない生活

 

を送れた(そういう人々も実際に多数いた)関西系

 

ボンボンである。

 

戦争で親を亡くして、あるいは爆撃で家を失い、

 

食べるためにあらゆることをやって生き延びた人

 

 と、この友人のような人とでは、ボケの具合も大いに

 

違うんじゃないかという気がする。

 

新元号がなんでそんなに目出度いかい?日の丸を

 

振って群れるに値するのかね。考えるに、廃線の

 

最終日や、新機種のスマホの発売日みたいなもんだ。

 

「新元号祭り」で万世一系の神の国のコリない信者

 

を増やそうとする、見え見えの政策じゃなかろうか。

 

西暦で統一すべし。そうすれば、地球の歴史に

 

日本史を結びつけることができる。

 

「教育勅語にもいいところが」なんて言うのは

 

この友人のような苦労知らずの輩であろう。

 

 アメリカ人にも良いところがいろいろある。

 

 戦後、マッカーサー元帥夫人が息子を連れて

 

 銀座のデパートで買い物をした。息子さんが

 

豪華な扇に目を留めて、欲しいとねだると、

 

夫人は「それは子どもには贅沢すぎる品物」

 

だからと、買ってやらなかたとか。

 

 「可愛い子には旅をさせ」というのは、旅の

 

苦労を味わわせ、鍛えよ、という意味だが、

 

 今では「家族揃って思い出作り、それが出来

 

なきゃ親失格」で、お父さんはクタクタ。

 

ひょっとして、家庭で満たされないものを

 

NETの幻想世界に求めて、やすやすと身を

 

投じる子どもは、「本当に満たされない」

 

生活とはどんなものか、知らないんじゃ

 

なかろうか。

 

 

タヌキの平常心   5

 

 

 

遠い昔のこと。散歩の途中で、前をゆくお年寄り

 

夫婦が手を繋いで行くのを見て、「ぼくらもあんな

 

ふうに年を取りたい」などと思ったことがある。

 

そして今はというと、めったに正面から目を合わせる

 

こともない、いや、あわせないようにしている、か。

 

「おはよう」「おはよう」ぐらいは言いやすい。

 

 

 

「今日は何曜日だっけか」というと、朝刊をグット

 

つきだしてココを見ろという。「ゴミ出しの日か?」

 

というと、(ゴミだしはタヌキの役目)壁のゴミ出し

 

カレンダーを指さして「見たら?」とくる。

 

 

 

タヌキは1時間前に聞いたことももう忘れる。

 

「今日は風呂はわかすのかい?」「それ、さっき聞いたよ

 

忘れたの?」***おそまつ。

 

女房ばかりを貶すわけにはいかない。タヌキは長年の

 

習慣で、こちらの都合や計画に相手を従わせようと

 

する。「きこえていたら、返事をせんかい!」「***」

 

「そんな風だと、今にお前がここを出て行くはめになる」

 

「ワタシはちっともかまいませんよ。だけどあなたが

 

お困りになるでしょ」***犬も食わぬとはこういう

 

会話のことさ。

 

出て行く、行かないの話は最初から決着ずみだ。

 

夫婦の財産の生前分与(たしか僕らの頃は半分あるいは

 

2000万円限度だったか)で、贈与税が免除されると

 

あって、土地の半分はタヌキのものじゃない。ひょっと

 

して、出て行くのはこっちかもしれない。

 

 

そんなぐあいで、体力の衰えは双方にあり、タヌキは時々

 

よろけてひっくり返るのを棚に上げて、相手がボケて

 

来たと思い、「持ってあげよう」「そんなことをすると

 

死ぬぞ、やめとけ」と言って手を出そうとする。相手は

 

嫌がって怒る。(彼女にすれば、楽をすればますます体力が

 

落ちるだけ、自分で出来ることは自分でやるのだというが)

 

たがいにヨロヨロしながらケンカしているありさま。**

 

ちなみに手を取り合って歩けるのは、双方がある程度

 

しっかりした歩調を保っている場合か、片方が健常者か、

 

だろうな。

 

だから?だから、アラマホシキ未来、アラマホシキ

 

自分、平たく言ったら、「こんなはずじゃなかった」

 

はすてることじゃ。

 

特に「相性」については確かなことは誰にも

 

わからない。50年後の相性について、オミクジを

 

引くようなもんだと思う。巳年同士だから、でも

 

彼女の靴下のシームがまっすぐなのが気に入ったから、

 

でも何でもよろしい。今更どうにかなるもんじゃない。

 

お互いの趣味、主張をほどほど塩梅して、平凡に

 

穏やかに暮らすこと、これしかない

 

 

タヌキの平常心   6

 

2019    4

 

老後の心配事といえば、金銭の関係、孤独死、など

 

 さまざまあるが、そのうちでも深刻なのは、成人の

 

扶養家族で、何かの障害を抱えた人をあとに残して

 

逝かねばならない場合だろう。

 

障害が軽度であれば、なんとか自立の道が開けるよう、

 

社会との接点を求めていく、ライオン流子育て(わざと

 

我が子を崖から突き落として、鍛えるという)を選べる

 

かもしれないが、そうでない場合は・・・

 

 「生産性無き者は去れ」みたいな発言が蔓延する今日。

 

生産しない年代=老人は早いとこあの世へいけ、

 

生産しない人たちは社会のお荷物、我々が迷惑する、

 

など、一種の「稼ぐ我らファースト」「優生思想」

 「

助け合いなんて白々しい」という、いかにも

 

 永久に老いを知らず、困窮とは縁のない、ロボット的

 

人間の理想が、ためらいもなく口から出てくる。

 

そういう年代の政治家が牛耳る国では、「文明国」の

 

対面を保つための「見せかけ福祉」しか無いのが現状。

 

 

タヌキの平常心   7

 

 

 

ある男が(いちいち年齢を言うのはやめておこう)

 

ついこの間まではNETにハマり込んでいたのだが、

 

今は狭い自宅の庭に出て、子どものように外遊びを

 

している。庭木をやたら刈り込む。やりすぎて、梅の

 

花枝(短い新しい枝)をあらかた採ってしまってから、

 

「今年は梅が咲かないなあ」と言ってる。

 

反対に、ちょんちょこりんの丸坊主にしたツツジは

 

翌年ビッシリと花をつけ、彼を喜ばせた。

 

雑草は残らず抜いて綺麗にする。毎日水やりを

 

欠かさない(雨あがりにも)ので、奥さんが「晩御飯

 

ですよ」と呼びに来ても、それから1時間も薄暗い

 

庭にいる。家族が食べ終わってから、彼はゆっくり

 

食事を始めて「1口100回、よう噛んでいる」そうな。

 

「マイペースに付き合うのも大変ですなあ」と奥さんに

 

言ったら、「あのお方は水中生物だと思ってますから。

 

今更空中に引っ張りだしたら、死んじまいそうで」

 

と。・・・それにしてもハシゴをかけて高枝を切るのは

 

あぶない。「実は2度ばかり踏み外しかけた。女房には

 

内緒だがな」と。このような老人のために、最近はやりの

 

植木職人用の小型昇降機(競馬のスターターが乗って

 

せり上がってくるような)が必要だ。

 

乾ききった土に水をまくと、ゴクゴクと飲み干す

 

ような勢いで吸い込まれていく。それはとても

 

うれしい感覚だ。だが、雨上がりに水を欲しがる

 

植物はないだろう。だから、植木を切るのも、

 

水やりも、一口100回噛むのも、自分の快感または

 

大げさに云えば「自己流泳法 」であろうか。

 

でも水中に居るうちはまだいいが、空に羽ばたいて

 

どこかにいってしまうのは困る。毎日のように

 

「行方不明の高齢者を探して」という市役所からの

 

放送がある。たいてい翌日あたりに市内で見つかる

 

ようだが。

 

 

さて、タヌキはあまり風呂好きじゃない。週に2〜3回

 

がいいところ。洗顔もその時にすませて、無理に顔の

 

油分を取り除いて乾燥させるようなことはしない。

 

歯はすでにほとんど無いので、毎日3分で磨き終わる。

 

「無精ったれ」だって?「無精健康法」というのも

 

ありだろ? たとえば予防的に薬を飲んで健康を保って

 

いると信じる人がいる。たいてい朝晩かかさず数種類、

 

風邪をひかないために、腹をこわさないために飲む。

 

人にも勧める。これぞ積極的健康法と信じているらしが、

 

タヌキは御免こうむる。で、かなり清潔魔の奥さんと

 

ゴタゴタが絶えない。まるで身ぐるみ剥いで「煮沸消毒」

 

しかねないからだ。

 

 

 

幼い頃、まだ内風呂を持たない家庭も多かったので、

 

冬の夜に銭湯まで通うのだが、帰り着くころにはすっかり

 

体が冷えきってしまう。また、田舎だと家に風呂があると

 

いっても、庭に建てた小屋だとか、川の上に張り出した

 

差掛け小屋だとかに、例の五右衛門風呂だ。

 

風流この上なし。となりの家にもらい湯なんて習慣もあった。

 

 

 

だからこそ、日本人の温泉好きは多いんじゃないだろうか。

 

でも、ガンコと言われようが、タヌキは御免こうむる。

 

 

 

 

タヌキの平常心   8

 

 

 

アナグマのAさんは人生のリベンジを企てている。

 

退職後20年もたっているのだが、それでも

 

やりのこした仕事があるという。

 

まず、新聞を4誌ばかり取り寄せて猛勉強を始めた。

 

新しいスクラップブックを買った。4誌読むだけで

 

せいいっぱいなので、いずれそのうち、切り抜きも

 

やる予定にしている。で、読み終わったのはキチント

 

管理しているが、あるとき1日分の新聞紙が行方不明

 

になった。「誰か鍋の油拭きに使ったんじゃないのか?」

 

まるで面白くもないオチだが、その日がたまたま新聞の

 

休刊日だったって。過去の知人の「あんたのためなら

 

何でもやってやるよ」の一言を頼りに、1億円ばかり

 

儲けてやろうという「無手勝流」だ。

 

「本人は大真面目なんだから、やらせておきまひょ、

 

そのうちあきるから」と息子さん。

 

 

 

タヌキの平常心   9

 

 

 

「自我を捨てなさい、そうすればもっと生きやすくなる」

 

とか、まるで禅の坊主みたいなことを言ってるのは、

 

実はテレビの人気司会者。ま、只でさえ生きにくい世界を

 

泳いでいる達人の、いかにも言いそうな言葉ではある。

 

 

 

自我を捨てたらどうなるか。

 

 

 

1.選挙に行っても、だれに投票すべきか、悩む。国の

 

 成り行きを任せる頭脳、人品骨柄、その主張を判断する

 

 基準が自分の中に無いんだから。

 

 で、「なんとなく良さそう」「かっこいいから」「この辺は

 

 皆まる丸さんにいれるみたいだから私も」ひどいのは、

 

 「誰が頭に来ようが俺はかまわん。良い統治をしてくれる

 

 なら」という植民地根性だ。

 

 

 

 「良い統治」とは「俺だけの利益になる統治」であるから、

 

 どうしたって国自体が良くなるはずがない。

 

 

 

2.「生きやすく」とは「抵抗、障害物、気遣い、中傷などを

 

 なんとか受けずに、安らかに生きたい」わけか。

 

 小川未明の童話の中に、おじいさんが来世の我が身の

 

 安寧をおしゃかさまにお願いするという話がある。

 

 「なんとか、おだやかに生きて、患いとは無縁の生物に

 

 してください。 人間はもうまっぴらです」と。

 

 お釈迦様はおじいさんを、とある岩陰に生えるコンブだか

 

 なんだかの海草にしておやりになったとか。1日じゅう

 

 ユラユラと波にゆられている海草に・・

 

 

 

 「悪く目立ちたくない」「人とちがうのが災いの元」なので、

 

 「空気を読め」または「行間を読め」で、はては「ものを言うな」

 

 と。おしゃかさまならぬ鬼どもが、この池の中のコイみたいな

 

 集団を料理して食ってしまうのは簡単なことだ。

 

 

 

3,「自己を主張する個人」「自己を表現する個人」なしには

 

 文明も文化もない、これは分かりきったことだ。

 

 

 

  

 

この頃はやりの言葉、「癒やされる」「癒やされたい」とは、

 

はてな?これは温泉用語じゃないか。見渡す限りネモフィラの青

 

に浸って癒やされ、夜桜のライトアップに幻惑(月光は薄汚い諸々

 

を隠してくれるが、人工の光ではそうはいかないのに)されて、

 

身の汚れが一瞬洗われたように感じる???

 

 

 

 

 

タヌキの平常心  10

 

 

 

キタナ好きのタヌキに天罰が下った。

 

連休直前、口内炎をこじらせて、鼻下と

 

顎にでかいはれものはできるは、左耳に

 

チクチクと痛みがはしるは、あわてて、

 

まず一番近い歯医者で治療してもらって

 

抗生剤3日分をもらった。こっちはどう

 

したもんでしょう?と(はれものをさして)

 

聞いたら「皮膚科ですな」との御託宣。

 

そりゃわかってるが、同時に2箇所で抗生剤

 

をもらって同時に飲んだら体に悪かろう。

 

耳も心配だ。耳鼻科だって、抗生剤を出すに

 

決まっているだろ。タヌキは無い知恵を

 

しぼって、ふくれた喉のリンパ腺が小さく

 

なるかどうか様子をみることにした。

 

 

 

 

 

1週間後、抗生剤の効き目か、できものも

 

小さくなり、喉の腫れも引いた、ところが

 

突然両耳の後ろが猛烈に痛みだした。ズキン

 

ズキンと1分おきに電気ショックをかけられる

 

ようだ。「皮膚科」医院を探して電話しまくる

 

が、なにせ連休中の土曜の午後だ。休診だったり、

 

初診の患者はうけつけなかったり、2日目の

 

日曜日に、やっと内科のお医者さんに診て

 

もらったころには、痛みはだいぶ遠のいて5分

 

ごとくらいになっている。神経の痛みは冷やして

 

みても効き目がないので、カイロで温めてみると

 

少しは持ちが良い。

 

はれものの状態からみて、帯状疱疹ではない

 

らしい。鎮痛剤の飲み薬と軟膏をもらって帰る。

 

 

 

小さい時、近所のおばあさんがリュウマチで、

 

一足ごとに「イチチ、アチチ!」と言ってるのを

 

聞いて、正直わけがわからなかったものだが、

 

今になってその痛みが理解出来た!これが老年と

 

いうやつだ。

 

 

 

神経の暴走はまた再発するという。この辺でも

 

急にペインクリニックが増え、ということは

 

たくさんの年寄りが痛みをこらえて生きている

 

ということだ。

 

なーにが、人生100年だい。そのうちのウン十年

 

が、痛みと共に過ぎる。ある偉人のように

 

「生きていさえすれば、まだ希望はある」なんて

 

カッコイイこと言ってられるもんか。イテテッ!!

 

 

 

 

 

後日、追記:

 

帯状疱疹の専門医に診てもらったところ、初期の口内炎も

 

 

含めて今流行っているハシカウイルスによる疑いが強い

 

 

とのこと。ということは、抗生物質を使うのは間違いで、

 

 

抗ウイルス薬の、老人、幼児むけに安全なものを使うべき

 

 

だという。なんでも、幼い頃にかかったハシカや水疱瘡

 

 

ウイルスが細胞内部に生き残っているので、これを殺そう

 

 

とすれば、細胞も殺すことになる・・というわけで、

 

 

幼児期にしっかり発病したのであれば、免疫力があるので、

 

 

高熱が出ても痛み止めの抗ウイルス薬を呑んで

 

 

おとなしくねているのがよい・・そうな。

 

 

最初に抗生物質に頼ったのは、タヌキの判断ミスだが、

 

 

素人には判断がむずかしい。

 

 

どこを受診すべきか、最初に判断してくれる家庭医の

 

 

ような存在があると助かるのに。それにしても、

 

 

80老人に対し懇切丁寧に説明してくだされ、

 

 

「これも健康な証拠」とはげましていただいた、親切な

 

 

お医者さんに感謝。

 

老年の幸不幸の半分くらいは、良い看護婦(士)さん、

 

 

良いお医者さんによって決まるといって良い。

 

 

口悪タヌキもつくづくそう思った次第。



たぬきの平常心      11

 

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タヌキの平常心  11

 

 

 

電動車椅子と高齢者、これほどアブナイ

 

組み合わせはない。

 

歩行者扱いだから免許も要らない、でも

 

交通ルールを無視していいと言うわけには

 

いかない。すでに赤信号の意味を忘れた

 

老人が交差点に飛び出す。暴走車椅子だ。

 

 

 

歩道がないから、車道の歩行者専用ライン

 

内側を通行中に、他の歩行者を轢いてしまう。

 

(時速6キロぐらいは出るから)または、

 

車にハバヨセされて側溝や穴に落ちる、

 

「電動車椅子のワナ」みたいな道路が

 

大部分。それなのに、メーカーの宣伝文句

 

「事故に備えて保険をかけておくと安心」だと。

 

なにが安心なものか。

 

 

 

とっくに亡くなったタヌキのオヤジも、晩年に

 

通販で電動車椅子を手にいれた。田舎の

 

街の交差点でいきなり渡り出し、付いていった

 

タヌキは冷や汗をかいたので、以後は敷地の

 

外へ出られないように仕掛けを作ってしまったが、

 

オヤジはそのことにも気づかず、裏庭をグルグル

 

と乗り回しては楽しんでいたようだ。

 

 

 

解決策の1

 

歩道を整備する。 これが実現不能な訳は、

 

田舎であれば、どこへ行くにも車なしでは話に

 

ならん、実際歩いている人をあまり見かけない。

 

だから歩道はいらない。

 

都会であれば、どこへ行っても人人人だらけ

 

なのに、道は車に乗っ取られ、歩行者はもう、

 

空を飛ぶしか移動のしようがない。

 

東京都でも、タヌキの学生のころは市電(都電と

 

言った)が道路のまんなかを走っていた。チンチン

 

と鐘を鳴らして発車する。自動車が少なかったから、

 

バスのように路面から乗り込むことが出来た。

 

今ではたしか都内に1本だけ残されて居ると思うが。

 

 

 

車を半数に減らしてその分を歩行者天国にでも

 

しない限り、電動車椅子だろうが乳母車だろうが、

 

「なるべく安全のために別の道を通れ」みたいな

 

ことになる。「別の道」はどこにある?空でも翔べ

 

ってか?モグラのように地下にもぐれってのか?

 

 

 

その2

 

運転免許に「交通弱者体験シミュレーション」項目

 

を入れる。みずからの身体能力と脳力を証明する

 

のではなくて、交通弱者の恐怖体験のようなものを

 

セットし、これを「いかに避けるか」ではなくて

 

 

「直に体験する」迫力満点のプログラムだ。

 

 

 

その3

 

せめて電動車椅子使用者に運転免許証取得を

 

義務付けるべし。

 

自転車は車なのに、、電動車椅子は歩行者とは

 

誰が決めたのか。肢体が不自由あるいはボケ気味

 

だからといって、交通ルールも守らず、歩道で

 

 

スピードを出されては迷惑。的はずれの同情心は

 

 

命取りになりかねない。

 

 

 

 

 

たぬきの平常心  12

 

 

 

やっと「行く年平成」「来る年令和」の馬鹿騒ぎが

 

終わった。令和なんてまだワープロ辞書にものって

 

いないだろ。タヌキの頭では、「なんだっけ、新しい

 

元号は?」の段階だ。

 

 

 

マスコミは平成を弾除けに仕立て、昭和史をすっかり

 

「無かったこと」にしてしまった。そして、タカマガハラ

 

に行って天孫降臨の足あとを見つけようとする、

 

変なツアーがはやったり、にわかに万葉集が売れたり、

 

まさに現政権のおはやしに乗って、全国民が踊る

 

体たらく。

 

 

 

そして、「皆さんお集まりの所、一言申し上げたい」

 

とばかり「今こそ改憲」、「正しい日本の未来を考え

 

よう」とか「9条を変えると言ったって憲法の精神は

 

今までと少しも変わらない」とか、声を張り上げだした。

 

少しも変わらないままでよければ、なぜ改憲が必要か、

 

どこを改良したいのか、それが日本国を守ることに

 

どう(具体的に)つながるのか?更に、国民の総意

 

は51%で決まり、なのか、国民投票の法改正を

 

やってまで国民を2分割し、ちょっと多い方を日本国民

 

とし、少ない方を非国民とする、こういうのをたしか

 

翼賛政治とか言って、70年前に流行ったはず。

 

 

 

「国民投票は悪魔のわな」と誰かが言っていたが、

 

某国の例を見ても、投票前の議論がいい加減で、

 

あらゆるメリット、デメリットを考えて投票する人よりも、

 

あまり考えずに、ご贔屓政党の言うがままに投票した人が

 

より多かった。というより、どうせ勝てるさ、と甘くみて

 

「そんなに言うなら国民投票にかけようじゃないか」と

 

言い出した政権党の党首が悪い。また、さぼって投票に

 

行かなかった支持者も悪い。で、党首は代わったが、

 

国民がどっちを向いているのか、右か左か、前か後ろか、

 

ぐちゃぐちゃになって困っている。だけど、これも民主主義

 

の一面であり、大政翼賛議会よりマシか。

 

 

 

議論抜きで形ばかりのニセ民主主義(現在日本の如き)は

 

悪魔の餌食になりやすい。70年前と同じように。

 

と、タヌキは声を大にして叫びたい。

 

5月3日って何の日だっけ?憲法記念日?いずれ令和憲法

 

改正記念日が別の日に決まって、こっちは廃止されることに

 

なるんじゃあるまいね。マジで心配。

 

 

 

タヌキの平常心.13

 

2,019  5

 

 

いきなり後部座席から「ばいため」とつぶやく声がした。

 

中年男2人組だ。

 

バスの中というのは以外に放言や下卑た言葉が飛び交う

 

 

もんだ。話というのは、高校生の娘が、そばやでのお運び

 

 

バイトに仲間と行きたい、と言うが、父親にすれば「とんでも

 

 

ない」むすめで●●だというわけらしい。事情そのものは

 

 

別に何でもありゃしない。ここらではふつうのことだ。

 

だが、いやらしいというのは、この父親の頭の中の「おんな

 

 

辺のつく動物」一般に対するイメージと、それにビッチョリと

 

 

まぶした親としてのシツケ、(ある者は愛情とかいう)の

 

 

醜い混合物の方だ。

 

 

 

実の娘に●●はないだろう!

 

だが、シツケと称して幼子を殺す親も結構多いらしい

 

 

世の中だ。ほとけワールドの端っこに四天王というのが

 

 

居る。その足元で踏んづけられているのが邪鬼。もとは

 

 

四天王の家来だったが、親分の出世に伴いおとなしく

 

 

なって、なにかと御用を足しているらしい。

 

道理で悪気の無い顔をしているわい。

 

一説によると、「原始、女は太陽であった」というのは

 

 

誤りで、女神と一般女性は全く区別されていた。

 

 

昔話では大抵男を守ってくれるのが女神で、女房は

 

 

役に立っていない。

 

そこへ中世の武家社会の男性優位と、仏教僧の女性

 

 

穢れ思想が混ざって明治以降の「四天王優位社会」

 

 

(タヌキの造語)となり、「汚れた女は土俵に上がる

 

 

べからず」が当たり前になり、令和にも続いているわけ

 

 

だそうだ。

 

土俵にも上がれないなんてねー。邪鬼さん、ふんずけ

 

 

られたって、あんたは台の上にいるからえらいよな、

 

 

でもあんただって年取ったら奥さんのお世話になるん

 

 

だろうが?

 

 

で、結論。「母は女神」だが、「女房は洗濯、料理番の女」

 

 

みたいな自称四天王オトコは最低だね。しかも東大と

 

 

やら、京大とやら、あとの2つは何だっけ?

 

 

そういえば、この春の入学式での上野千鶴子さんの

 

 

式辞がよかったな。「この大学も男尊女卑の例外では

 

 

ない」と。若い東大生の心に届くと良いが。

 

 

5. 28   追記;

 

なにが平常心かというに、タヌキが一番心にひっかかって

 

 

いるのが、ある種のオトコの自慢話。最近では正直に

 

 

ものを言うことが流行ってきたのは結構だが、

 

この間のテレビ特集番組で、「獣にするように、うつ

 

 

伏せでうしろからなー」とじいさんが言っている。

 

 

げっ!と吐きそうな光景が一瞬目に浮かぶ。彼はそれを

 

 

見はしたが、仲間を止めようとはしなかった。

 

 

止められる状況にはなかった、という。それが戦争と

 

 

いうもんだと。

 

またよく知られた「へるもんじゃなし」という

 

実にふとどきな言葉を吐きかけられたと、おばあさん

 

 

がカンカンになって怒っている。満州で終戦を迎えて、

 

 

ロシア軍の捕虜となった日本人開拓者の集団。

 

 

ロシア兵の強奪から若い女の子を守るためと称して

 

 

日替りで、要するに経験者を差し出して、兵隊共の

 

 

ご機嫌取りをしたそうだ。

 

また別の集団はそのようなことを恐れて全員で自決

 

 

せざるをえなかった。だから70年後にそのうらみを

 

 

言うこさえもできなかった。

 

「女性活躍社会」をつくります、とかいう

 

 

政治家にしても、男女の地位が平等だとは

 

 

ちっとも納得していない。「セクハラっていう

 

 

犯罪はないんだし」などと。これが平均的な

 

 

日本の男の平常心か、と思うとなさけない。

 

 

言うなれば田舎の盆踊り歌(子どもには聞か

 

 

せたくないような卑猥な)が頭にしみついている。

 

 

ヒンドゥー社会では女性差別がひどい、とか

 

 

言っても、日本人の紳士面の下には同じような

 

 

ご先祖さまの悪しき遺産が生きており、現在の

 

 

ようなタガの緩んだ時代では、社会全体に

 

 

じわじわと滲みだしてくる感じか。

 

 

それが彼らの平常心。

 

 

タヌキの平常心  14

 

 

 

13で、四天王の悪口を書いたので、ちょっと一言。

 

これは東寺の講堂にある混みあったホトケワールド

 

に立っている、甲冑、武具に身を包み、大目玉を

 

ひんむいている(今は東京の博物館の特別展へ

 

出張中)像のことをイメージしたので、法隆寺に

 

ある天平の穏やかな表情の(官吏風の)像とは違う。

 

 

 

平々凡々たる人間はといえば、このワールドの

 

どこにいるのか、姿は見えない。見えないが、

 

ほとけの世界を創りだしたのも、散々に利用した

 

のも人間だ。だからここまで豊かになったとも

 

言えるし、絵空言に過ぎないとも言える。

 

 

 

神道はどうか。誰が作り出し、広めたのか?

 

それは普通でないある種の「憑かれた」人間と、

 

それを利用したい権力者であって、決してそこらの

 

凡人ではない。しかも国家神道ともなれば、万世

 

一系の天皇を唯一神の代理者、あるいは神そのもの

 

としてあがめるという、(アラーの神と同じく)

 

優秀な権力集中装置だから、一度味をしめたら

 

止められない。

 

 

 

で、今でもこの装置を起動して、うまうまと権力を

 

繰ろうとする一党が居て、「日本は天皇を中心と

 

する神の国デショ」などど宣伝している。

 

過去にあれほどの害毒を流した一神教はやめようぜ。

 

人間臭いホトケワールドのほうがなんぼか増しだ。

 

 

 

タヌキの平常心-15

 

 

windowspea zipを入れようとすると、すかさず「Winzip Buy now

 

 

みたいな画面が飛び出してくる。それを消してやれば、別に

 

インストールの妨害まではやらないが、フリーソフトは嫌い

 

らしい。それなら、なんでpea zip for windowsがあるんだろう。

 

 

 

アメリカが、中国への技術移転(無料同然の)を嫌がる訳も

 

わからんではないが、盗まれないような仕掛けは無い。発明

 

だって賞味期限があるだろうに。

 

ある中学生がこう言っている。「発明者のアメリカ自身が

 

核兵器生産、保有をまずやめなければ、他国の核保有を非難

 

しても説得力がないんじゃない?」と。その通り。

 

地球破壊科学のパテントでいつまでも儲けようとするなよ。

 

広島・長崎への原爆投下は「すごく安上がりの人体実験」

 

みたいなもんだろ、とタヌキも言いたい。これをアメリカと

 

一心同体で庇い通す、日本政府の阿呆さ加減に腹がたつ。

 

何が「積極的平和主義」だ。

 

 

2019    5

 

あるテレビ番組;

 

「政治を官僚の手から取り戻し、政党の一元支配を見事に

 

実現した」「大した手腕だ」「天下取りの資質十分」また

 

もうちょっと上品に「稀有のお方だ」とか、誰のことかというと、

 

安倍氏のこと。

 

 

 

そして本人の支持率は上向きだとのこと。世論調査風に云えば、

 

「ほかよリよさそうだから」だって。

 

 

 

現首相の腹の底をタヌキ式に忖度すれば、「戦争も辞さぬ覚悟を

 

国民に求める」。それはもちろん「大国アメリカの全方位敵視政策に

 

ピッタリと寄り添う」ために必要だからだろうが、そのことを糾弾して

 

いるマスコミは少ない。マスコミ自身が真っ先に「送迎バス」に

 

 

乗り込んでしまうとは、なさけない。

 

 

天下取りの資質のみを言うなら、あのヒトラーが第一位かもしれない。

 

 おっと、ついに出ました議員失言:「戦争によって北方4島を取り

 

戻す覚悟がおありか?」

 

与野党共に、「今の日本の国力なら、戦勝もありだ」という恐ろしい

 

勘違いをする奴が増えてきているんじゃないか?「日本もそろそろ

 

核兵器を持つべきだ」などということを平気で言う。

 

足元を見てごらん。「景気は悪化傾向」と新聞にも書いてある。

 

改憲祭りをやっている場合かな?

 

職業軍人つまり「自衛隊員」が4島に爆撃をかけ、住民を殺し、

 

 

家を焼き払い、空いたところへ乗り込んで日章旗をたてて

 

 

勝利宣言する?第二次大戦中の大本営の連中はそんな風の

 

 

脳天気な夢に浮かされ、自軍が大敗したのも知らずに「祝宴」

 

 

の用意をしていたのだそうだ。

 

敵が降参しないで、その全戦力をあげて日本に攻撃をかけて

 

 

きたら、北海道全体が簡単に吹き飛んでしまうだろう。

 

 

それでも「東京や国会周辺が無事ならば、それでよし」なのか。

 

 

AI化が進んで、無人兵器で戦うからこちらに損害はないと

 

 

思っている?とんでもない、

 

 

こっちになくてもあちらで人が死ぬ。それも大量に。

 

 

あちらからの反撃でをこちらの民間人が大量に死ぬ。それでも

 

 

 

大本営が無事なら結構?

 

本人は議員辞職を拒んでいるという。

 

 

大本営は「党席剥奪」は妥当だが、「議員辞職までは如何な

 

 

ものか」と煮え切らぬ。

 

 

「戦争を覚悟で」とは「戦争は自衛隊がやってくれるもの」、

 

 

「だから憲法に自衛隊の海外派遣を明記し、戦勝へみちを

 

 

開くべし」とか、いやいや、それ以前に「戦争で決着は

 

 

カッコイイ」というアニメ好き小学生なみの発想に過ぎない

 

 

だろう。かつての大日本帝国大本営なみ、外交音痴の

 

 

日本政府はこのような輩を容認するのか。

 

 

 

 

タヌキの平常心−16   5月某日

 

きのうは朝からマー君のヤンキース戦を観たし、

 

 (勿論テレビで)午後は大谷の見事な2点適時打を

 

 観られたし、夜は錦織君がツォンガに勝ち、大阪嬢

 

 もすでに3回戦に進んだ、と、タヌキは大満足で

 

 眠りについた。タヌキばかりでなく日本全国のジジ

 

ババが、ぐっすりと眠れたことだろう。驚くべき

 

 パワーだ。

 

 最近、よくアナグマA氏のところでテレビを視たり

 

 する。彼も野球好きなんだがどうしてあんなに、

 

選手や監督の悪口ばかりを言うかね。(これだから

 

 ジジイは困る)また人の世のあらゆる出来事に、

 

 たちの悪い解説をしたがる。(お前も同類だろうっ

 

 て?そう言われちゃどうも困るなー)

 

そこで、腹の中にたまった毒を窓からポイ捨てする

 

 習慣(タバコの吸い殻なんぞの様に)について。

 なぜ毒を溜めこむ?かというと、耳から入った新し

 

情報を、腹の中で痛みかけているものと混ぜあわせ、

 

酸素を取り入れリフレッシュする、自分なりに

 

良い物に変えてゆくという作業、これを全くしない

 

から。周辺に臭い息を吐き続けているのに自分で

 

 気が付かないのだ。

 

「だから年寄りは・・」と言うなかれ。若い人にも

 

 この悪習慣に染まったのが大勢いる。

 

また、「頭さえ良ければ時代について行けるさ」と

 

 ばかり、得意の○○機械語をひけらかして、他人を

 

馬鹿にしたがるような御人も多いが、残念でした。

 

 人間は腹で考えるんだということが、最新の科学で

 

 証明されつつある。老人だって、頭が少々薄くなっ

 

 ても、腹がちゃんとしておれば、平常心を保ち、

 

 いつまでもリフレッシュ出来る余地がある。

 

 腹と言ったって胃腸のことじゃない。あらゆる臓器、

 

 骨、血管、筋肉などなどが、互いに信号を出し合って、

 

 自分を健康に保とうと協力しあっているらしい。

 

脳というのは、身体の中でも得手勝手で、コマーシャル

 

じゃないが「結果にコミットしない」、無責任な子ども

 

のようだ。現に大量の放射性廃棄物が野積みにされ

微細なプラスチック粒で川も海も汚染されていると

 

いうのに、「私は発明、発見が専門でゴザンス。

 

その他のことは存じませんですよ」と科学者。

 

「私は物や金の流通をよくし、みなさまをご満足させる

 

のが仕事でして、それがどこに捨てられるかなんて知った

 

こっちゃない」と経済人。

 

「人生100年? 国民を働かせるのに良い。標語として採用!」

 

地球がこわれたら?他の星へ行けばいいさ」とは、言わずと

 

知れた政治家連。

 

 

脳みそに任せておいたらろくな事にならない。皆が皆の

 

ために協力する健全な身体を復活させよう。

 

 

 

 

タヌキの平常心  17

 

あるテレビ番組の中で、バックに「自分自身であれ、

 

自分自身であれ!」という合唱曲が流れる。

 

 歌好き国民のハンガリーでは、学校で、合唱を通じて

 

 「ハンガリー人」を育てるプログラムが盛んに行われ

 

ているそうだ。

 

同様のことを日本の学校でやったらどんな風かな?

 

「さくらさくら」とか「夕やけこやけの赤とんぼ」

 

とか、「日本人に馴染みの」美しいメロディーはあ

 

るけど、「われは日本人」という誇りをかきたてる

 

ようなものじゃない。「君が代」もなんかピンと

 

来ないし。いったい生徒の何を育てるのか、自我か

 

他我か。知識か知恵か。生まれのよし悪しか。男女

 

 の差別意識や、強者を恐れ弱者を貶める悪しき習慣

 

 や、あらゆる誘惑に負けないで、「自分自身であり

 

 続ける」ことの大切さを教える、そんな歌が日本の

 

 どこかにあるだろうか。

 

「国体護持」と「教育勅語」を大切にしましょう、

 

などという歌をこれから作るつもりの偽民主主義国

 

政府に、子どもの未来をまかせられようか?

 

平常心とは「あくまで自分自身であり続けること」

 

 だと、タヌキは気づいた。

 

 

 

タヌキの平常心  18

 

アナグマAさんは、早朝5時頃から、丘の上のコン

 

ビニまで新聞を買いに行く。その時間奥さんはまだ

 

起きていないから、もし帰り道を忘れて、行方不明

 

 になった時にどんな服装だったか、説明出来ないし、

 

 途中で倒れでもしたら、と心配している。ところで

 

 本人は足元は少々あやしいが、とても楽しそうだ。

 

 早朝のコンビニには、通勤前にパンとコーヒーで

 

腹ごしらえする勤め人やら、独り住まいの若者やら

 

常連客で結構賑わっているらしい。また彼は人間

 

だけでなく、ワン公にもモテル人なので、朝の散歩

 

 に来た犬達とのご挨拶が嬉しくてたまらない。(奥

 

 さんはあまり動物好きじゃないので、飼いたいとは

 

 言いにくい)「適度な運動は体にいいよなー」と

 

 彼は言う。彼なりに前向きに、良い変身を遂げたと

 

 褒めておこう。

 

 ところで近頃コンビニの閉店がアチコチで起き、

 

 代わりに別の銘柄のコンビニと一夜で入れ替わって

 

 いたりする。安い給料で働く人手が不足、深夜営業

 

 は赤字、だそうな。A氏がいつまでも人と犬の仲間

 

 と楽しくやっていけるよう、祈るのみ。

 

 

2021—8—14追記

 

NETの噂  「東大王」とかいうテレビの人気番組

 

があるが、そこの「王さま=クイズの王様=

 

賞金王」がツイートして曰く「生活保護受給人数が

 

飛躍的に増えたって?彼らを我々がなんで

 

助けにゃならん?僕にとっては飼ってるネコの

 

運命の方がよほど気になる」とかなんとか。・・

 

これはNETで大炎上。

 

こんな立派な息子を育てて、ご両親はさぞご自慢

 

だろう。そして上野千鶴子先生はとても恥ずかしい

 

思いをしておられるだろう。

 

 

これが東京大学の目指す教育であったかと。

 

 

 

タヌキの平常心  19

 

ごく若い頃、イタリアや東欧などの街の路地で、老人

 

 達がのんびりと、一日中たむろしているのをニュース

 

 などで見かけると、「なんで何もせんとだらだら

 

しとるんか。(こんなふうだから、旧態以前、進歩

 

 しないんだな)」などと、現在の国会議員さんの曰

生産性ファーストみたいなことを内心思ったものだが、

 

老年となった今では大変恥ずかしい、浅はかな考え

 

 だと思う。そのことに気づいたのはあるナポリ人の

 

言葉による。「この街では誰もがよく知った間柄で、

 

誰もが親切で温かい。この街に一生住み続けたい。

 

イタリアは国としては情けないけど、ナポリ人は最高

 

さ」と。また、老人に、何もしない自由が確保されて

 

いる街と、100歳まで働かされる街と、どっちに

 

 住みたいか。タヌキはナポリに住みたい。

 

そして、経済大国日本とか、グレートアメリカとか、

 

世界に冠たる○○民族とか、どれも願い下げだ。

 

 もしも地球が滅びるなら、それは外敵なんかじゃ

 

なく、地球人同士の殺し合いが原因だろう。それを

 

阻止することができるのは、路地裏の庶民の平常心

 

 と平和を愛する心と互助の精神、(馬鹿な右翼の

 

言うオハナバタケ)しかないだろう、と今では確信

 

している。

 

地域社会が世界を救う」 2019年6月20日

 

 朝日新聞

 

米シカゴ大学経営大学院教授 ラグラム・ラジャン氏

 

(1963年生 インドの外交官の家に生まれ、

 

米国で学ぶ。世銀の政策顧問、IMFのチーフエコノミスト

 

等を経て、インド準備銀行総裁を務めた)。

 

 

「地域社会には、少なくとも3つの役割があります

 

1.市場経済に参入する人を育てる場として

 

2.もしあなたが働けなくなったり、年をとったりした時に

 

 受け止めてくれるセーフティーネットとして

 

3.政治行動を起こすときの基盤としてです。」

 

 

「グローバル化によって素晴らしいチャンスが目の前に

 

あるのに、自分にはつかめない、その怒りの多くは

 

地域社会の弱体化に原因があります。地域社会が崩壊すると、

 

より大きな共同体に自分の存在意義を求めたくなります。

 

ナショナリズムが強まるのは、こういう時です」。

 

ーー地域社会の弱体化の原因はなんですか?ーー

 

「情報通信技術革命でしょう。市場がグローバル化された

 

ことにより、良い人材が地域社会から去り(より多額の給料が

 

稼げる)国家レベル、国際レベルへと流れてしまいました

知識やスキルを持ち高賃金を得る人と、(国際競争に乗り遅れ

 

た)低賃金の仕事に甘んじる人に分断されたのです」。

 

ーーそれを止める方法はなんでしょうかーー

 

「確かに、最も才能に恵まれた人々は世界のどこででも、最良

 

の場所を選んで働こうとするでしょう。でも多くの人は、

 

家族や友人がいる場所で働きたいと思っています。

 

(最も上位の人よりも)やや下の層の人たちが地域社会に残る

 

とすれば、それは素晴らしいことではないでしょうか。

 

そういう人たちが、より良い生活を送れるようなサービスや

 

仕事を考える必要があると思います」。

 

「20世紀の政策論争は、国家と市場の2つの側面しか見て

 

きませんでした。共産主義は国家だけを見る、資本主義は市場

 

万能主義の理論化にいそしむという風に。でも今こそ

 

「第3の柱」としての地域社会の再生が必要です」。

 

教授によれば、地域社会に人が残り易くする施策を(地方

 

自治体の内部から)進め、また勤務地による賃金格差や利便性

 

の格差をなくすために、国はもっと地方政府に権限や予算を

 

渡す(インクルーシブ・ローカリズム=包括的地方主義)

 

べきである。

 

 またITの進歩のおかげで、大都市でも農村部でも、同じ仕事が

 

出来るようになり、一方でITにより金の流れが追いやすくなり、

 

地方自治体の腐敗を防ぎ、効率の良い地方自治を進めること

 

にも役立つはずである。

 

ーー国家の姿も変わる必要がありますかーー

 

「(第2次大戦後の)この秩序ある世界は、米国が市場主義と

 

民主主義に重きを置き、一応のルールは守る「親切な覇権国」

 

として振る舞ったおかげで、とてもうまくいっていました。

 

しかしもはやその世界は崩壊し、米国は自らの役割を果たし

 

たくないと考えています。一方で、だれも新たな秩序を創造

 

する気もなく、深刻な「真空状態が生まれています」。

 

ーー日本の移民政策についてはどうでしょうかーー

 

「これは日本国民が選択することで、外からとやかく言う

 

ことではありません、しかし日本が高齢化が進み、多くの

 

資本があることを考えると、経済的には移民の導入は理に

 

かなっていると言えるでしょう。一方で、移民にその国に

 

腰を落ち着けて自分の人生を投資しようと思ってもらうには、

 

長期的な将来像を示す必要があります。これから日本が

 

取り組まなければならない重要な課題でしょう」。

 

     

タヌキの平常心  20

 

タヌキ友達のある男が、うちのカレンダーを見て

 

 言うことに、「この、最後にブラサガッテいる30

 

 てのは何だ?」

 タヌキの手作りだが、隣の部屋からでも読み取れる

 

 ように、A3紙に最大6行で(曜日込で)収まる

 

 ようになっている。文字の大きさや形はわざとバラ

 

バラにして(それぞれの日の個性?を持たせて覚え

 

 やすく)作ってある。ところで今年の6月は第二列

 

 が1のみ。第七列が30のみ。で、6行に収まら

 

ない。しかたがないので、6行目の頭を/で区切て、

 

下に30をぶら下げてあるわけだが・・これが

 

 彼には気に入らないらしい。「こんな変なの見たこと

 

 無い」という。そういえばある日のテレビで、少子

 

 高齢化、若年労働力不足のニュースを見た彼は

 

 「あれ?人口は減ってるって?うそだろ。出産ブー

 

 ムで人口は爆発的に増えているのに」と驚いている。

 

また、うちの食堂のテーブルが部屋の正中線にそって

 

真ん中に配置されていないのが、いつも気にかかる。

 

そこで直してくれるんだが、すると椅子が後ろの棚

 

に当たって、座ると腹がツカエル。

 

全て実害はなし、笑って終えることだが、何がどう

 

 なってんの?と、こっちが考えこむ。あるべき所に

 

 ものがなくて、代わりに変なものがある。正しい情報

 

はたった一つ、と思い定めているらしい。

 

タヌキなりに考えてみたが、これは「節約」「臨機

 

 応変」「ヤリクリ」なんぞという家事作業に付きもの

 

 のテクニックで、これをないがしろにして、学んで

 

こなかった男の末路ではないだろうか。ま、害は無い

 

 けど、これを政治に持ち込んでいる先生方もいること

 

 を考えると、怖くなる。「うちは赤字なぞ出して

 

 いないぞ。母ちゃんのサイフは膨らんでいるから、

 

 そこから借りればいいのさ。(同世帯のことだ。母

 

ちゃんには返さなくていい)」とて、何に使ったか、

 

 友達にこっそり貸したんじゃないか、など詳しい説明

 

 もなし。また、正しい保守の伝統を、ある時点の政治

 

集団の脳味噌と手法から学んで、それをひたすら信奉

 

 しておるらしい。だから、「家の安全を保証してや

 

る」という自称オマワリサンを自宅に住まわせて、

 

 生活費まで出している。(こんなことは、同じ敗戦国

 

 イタリアやドイツでもやっていない)そして、曰く

 

 「同盟国の意向は無視できない。だってドウメイコク

 

 なんだもん」。このお人好し!ノーベル平和賞ものの

 

国際平和条約だって、一夜で反古にされる今日この

 

 ごろですよ。正月のお宮さんの餅まきみたいなこと

 

 ばかりやっていると、「確かなごりやくを示せ」と

 

 国民に言われてしまう。まず正しい家計簿と正しい

 

 数値を示さないと、奥さん失格だね。「おれは男だ、

 

国を導く重い責任がある」とかって言ってますけど

 どこへ行くのか、自分にもわかっていないようだね。

 

ボケ老人のアルアル話から、飛んだところへ話がそれ

 

 ちまった。

 

 

 

 

タヌキの平常心  21

 

どういうわけか、PCがパスワードを要求してきた。

 

何年ぶりか、忘れてしまっていたので、3度も失敗。

 

どこかにメモっておかなきゃ。

 

誰にでも人生のフラッシュバックというものは、

 

あると思う。(たまに全く無い人もいるらしいが、

 

そんなのとはつきあいたくない)。

 

老人は先がないから、思い出に生きるしかないと

 

言う説もあるけど、「生きる」でなくて「付き合う」

 

程度にしておきたい。 中には相当イタイのもある。

 

が、クヨクヨするなって!それより、やり直しのきく

 

現実=うっかり自分でオムツの交換をしくじったり、

 

今みたいにパスワードを忘れたり=と付き合って、

 

press F2 to continueで、強気で進むしかないだろう。

 

下手にresetしない方が良いにきまっている。

 

(別に、お独り様同士の再婚を悪く言ってるわけじゃ

 

ありません)

 

ルーティーンをこなすついでに、できればそれを

 

面白くする。これは誰にも邪魔されずにやれるはず。

 

「おじさん、もうちょっと周囲に気を配ったほうが

 

よくない?」というご忠告を受けることもある。

 

1.親類付き合いをよくするべし。

 

2.カワイイ老人を心がけよ。(どういう意味?)

 

いやだね。どれも体に悪いわい。

 

 

 

 

タヌキの平常心  22

 

ある銘柄のトーフは他より5割方高値だが、味が

 

よかった。ところである日、突然の値下げだ。

 

買って見ると、ひどく水っぽい。よくある話だ。

 

また、今治タオル(有名だから名前を出すが)は

 

品質がよい。わかっているけど、ちょっとお高めで

 

大量消費向きではない。それが、その高品質はその

 

ままで、突然の値下げだ。何かあるなと思いつつ、

 

タヌキは1年分のストックを買い込んだ。そしたら、

 

東南アジアからの労働者を時給400円で働かせて

 

いたんだとか。今治のせっかく勝ち取った評判を

 

 傷つけてまで、安値競争に勝ちたいかねー。

 

「福島ひとめぼれ」という米をこの数年間買って

 

いた。勿論、タヌキに買える値段(そのスーパーの

 

目玉商品)だったから。味はとてもよい。今まで

 

福島産米なんてまったく知らなかった。

 

もともと東京の庶民に売らなくたって、全国区の

 

金持ち消費者向け に、その名は知られていたのだろう。

 

ところで、今年は福島産米が米コーナーに見当たらない

 

と思ったら、 何でもタイやマレーシアに出荷されて、

 

おいしいと評判を得ているそうな。タヌキにとっては

 

つかの間の口福だったわけだが、反対に、よい影響も

 

あった。

 

茨城産の柔らかくおいしい野菜(これも、ここらでは

 

初めて見る)に影響を受けてか、東京近郊からの

 

ネギやホーレン草や小松菜にさえも、変化が現れた

 

ように思う。多分土壌改良に努めず固いままの白ネギ

 

や葉もの野菜は売れなくなったんだろう。昔から

 

 小松菜は東京近郊の畑(大江戸の排泄物で肥えた)

 

 の特産品だったそうだが、近年そのお恵みもなく

 

なって、よーくゆでても固いのが売られていたり

 

 した。茨城産の野菜は相変わらず人気だ。

 

あの惨事のおかげで、流通経路が開けたのだとすれ

 

 ば、逆にいままでは何がジャマをしていたのか、

 

不審に思う。

 

アナグマさんが路上で倒れて救急車で運ばれた。

 

 

顔面を打って、入れ歯とメガネが粉々になったという。

 

 「なぜ俺は倒れたりしたんだ?」と本人が言う。

 

 「これから頭の中身に虫食い穴がないか、検査

 

するんだろ?」 「虫食い穴ってか?そんなのは、

 

俺は知らん。俺のせいじゃあない」

 

「あんたの頭はあんたの持ち物だろ?」

 

 「俺の持ち物かも知らんが、勝手なことしやがる。

 

俺は責任持たん からな」・・・と、こういう具合だ。

 

これからも雨の朝に新聞を買いにゆき、急いで帰る

 

(急がなくても いいのに)だろう。彼は自重とか

 

責任とか、保身とか家族のお節介 とかから完全に

 

開放されちまっている。彼はやりたいことをやる。

 

 「雨だから、今日は止めにしよう」とか「急がず

 

ゆっくり帰ろう」とか 思わず、大好きなコンビニへ

 

行きたい。「これだけは譲れない」世界 に生きている。

 

(考えて見れば、倒れたのは雨のせいでも、急いだ

せいでもない、ほんとにかれの責任じゃあない、

 

のかもしれない)

 

 タヌキ式平常心の枠外にある、トンデモナイ呑気病

 

だが、これが 老人だけでなく、一般成人に蔓延して

 

いるようにも思える。

 

 新聞などで、エライさんにお説教をたれている人が

 

いる。曰く「民主主義に反する」「品格に欠ける」

 

「シモジモへの思いやり なくして、政治家といえるか!」

 

などと。ダメダメ、無駄なこと。彼らはボケ老人同様

 

「これだけは譲れない」 信念を看板に(めしの種にして)

 

生きてる人々だから。 人格形成を間違ったたちに今更説教

 

するのは、釈迦に説法、 ヒトラーに注射(ほんとは麻薬を

 

(何だって己の商売繁盛のネタ)、 某首相に「退陣勧告」

 

(だって適材適所だもん!皆がもっとやってと 言うんだもん!)。

 

 

7月21日追記:

 
 参院選、保守連合の議員総数が3分の2に届かず。

 

まずはよかった。改憲に向けて、このバカ内閣が次に

 

画策するのは、これを定数2分の1に改変することだろう。

 

若い人とはなしをすると、民主主義=多数決、みたいな

 

返事が返ってきてびっくりする。

 

これが、国をまとめるどころか、分裂させる。

 

 

タヌキの平常心  23

 

 

御杖村社会福祉協議会のこと

 

上の写真は奈良県御杖村のキャラクターで、セント君

 

よりずっと可愛い。今日は御杖村の宣伝をしちゃう。

 

 

 

7月半ばに友人の日本ザル君が脳の硬膜下血症で

 

緊急入院した。地元の医療チームに発見されるまで、

 

3日も倒れていたそうだから、命がアブナイかも、

 

と急いでかけつけた。

 

幸いなことに、脳の中に漏れだした血液を、わずか

 

10円玉くらいの管を通して吸い出し、無事終了、

 

サルどのは右手足に麻痺が残ったものの、口もきけるし、

 

タヌキは医療技術の進歩に脱帽。

 

なお2週間程度の入院は必要だが、病院側のケアが

 

すばらしい。わずか3日後には、退院後の生活を

 

どうするか、タヌキも保証人としてお呼びがかかった

 

ので、奈良まで出かけて相談に加わった。

 

病院は奈良済生会中和病院。パンフレットに

 

「無料定額診療のご案内・・・●年金だけで収入が

 

少ない●入院したら収入がなくなる!●急な入院で

 

医療費の支払いが心配・・・まずはご相談)ください」

 

とある。

 

 

また、「退院時支援面談」を継続することがが出来る

 

よう、「入院早期より退院支援を始める」こととしました。

 

入院治療経過や症状を踏まえ、退院までの方向性や

 

退院後の生活について、患者さん本人およびご家族の

 

ご意向をお聞かせいただくため、「入院7日以内に

 

退院についての面談」を行わせていただくものです。

 

面談対象患者の例として、介護保険が未申請で、

 

退院後に利用が必要とされる方、にサルどのはあてはまる。

 

彼はバツ2で現在面倒見てくれる身寄りなし、年金は

 

ごく少なくて「やっていけるかしら」の範囲。

 

病院は桜井市の市街地にあるが、彼の住処は山奥の

 

御杖村、ログハウスに長年暮らしているらしいが、

 

とにかく寒い、凍える季節に高い灯油を買わずに我慢

 

する生活、だけど暖かな季節には豊かな自然が楽しめる。

 

実際、御杖川沿いの村営キャンプ場はごく評判が良いらしい。

 

この会合には、御杖村社会福祉協議会と地域包括支援

 

センターから若くて生きのいいケアマネージャー2人が

 

参加して、丁寧に聞き取りをしてくれる。サルどのは

 

76歳で、いわゆる「自由人」らしく「一緒に暮らして

 

くれる良いひとが見つかればなあ」とかしごく前向きな

 

発言ばかりしている。(ほんとにそうならいいのにね)

 

とりあえず介護認定を受け、ヘルパーの派遣や、家の

 

修理費用などの援助や、何よりもケアマネージャーさん

 

たちの温かい見守りを受け、なんとかやっていけそうなので、

 

タヌキも一安心。

 

http://mitsuesyakyo.org/    のホームページにも、

 

この可愛いキャラクターをのせたらいいのに。社会福祉法人

 

だからって、遠慮することないでしょう。老人にとって

 

住みやすいところ、それは若者にとっても、将来の幼い家族

 

にとっても住みやすいところに違いない。やたらユルキャラ

 

頼みで金づるオコシというのではなくて、彼らの意気込みを

 

全国に広げて欲しいと思った次第。

 

 

といっても、一番のネックは買い物難民をどう救うかだろう。

 

奈良ではだれでもバンに乗る、だから値下りしないそうな

サルどのも中古車をもっているが、事故ったり、その修理代が

 

生活を圧迫したり、というわけで、「運転はもうやめなよ、

 

年だし」と進言したが、どうするんだろうか。畑のカボチャに

 

乗っていくわけにもいくまいし。

 

 

タヌキの平常心  24

 

奈良で思ったこと

 

近鉄の急行に乗ると、中国や韓国からの観光客大勢と

 

乗りあわせ、子供、大人の声が「メイヨー」とかなんとか

 

叫んでいるし、扉に「ゴマ油の冷麺」の広告。駅名表示には

 

韓国語版もある。(何故か中国語版はない)。80ジジイは

 

立ったまましばらくがまんして、普通に乗り換え。

 

 

近鉄の普通列車に乗ると、地元の高校生の一団がどっと

 

乗り込み、一瞬にしてあたりは✗✗印のボディーシャンプーの

 

香りに包まれる。彼らがまたどっと降りると、あとには

 

シャンプーの遺り香だけが・・・いつまでも芳しく。

 

 

大和八木の街で、中学生らしき3人連れに「ハンコ屋」は

 

ないか聞いてみる。すぐにスマホを取り出して調べ、

 

1人が「一緒に行きましょか」と言ってくれる。老人を

 

見る目が実に自然で暖かく、応対に慣れている感じがする。

 

(東京あたりでは、若者に声をかけるにはチョット勇気がいる)。

 

近鉄だろうが、新幹線だろうが、待合室だろうが、スシ詰めの

 

車内だろうが、立ったままだろうが、座ったままだろうが、

 

 

右手に守り本尊みたいに掲げて居るのはなんだろう。

 

これだけは全国どこでも変わりなし。

 

「のぞみ」で、隣座席で足を組み、膝にスマホを乗せて読書

 

している男がいると思ったら、なんだ、1時間半もコックリ。

 

揺れてスマホが落ちては、といらぬおせっかいをしながら

 

老人が見ていると、それが1度も落ちない。強力なスベリ止め

 

がついているらしい。

 

学生時代の奈良旅行。菜の花と桃が一面に咲いて、西の京の

 

夕焼けの中に寺塔が黒く浮き出ている。一日中歩きに歩いても、

 

疲れなかった。タクシーのおじさんが言う「奈良は、観光名所が

 

広く散らばっているので、足が問題。おれも行きたいところが

 

いろいろあるが、まだ行ってないし」。今は車がビュンビュン

 

飛び交って、秋になっても柿の木を見かけない。柿の葉寿司の

 

はっぱはよそからの仕入れだろうか?

 

 

タヌキの平常心  25  

 

植木好きの爺さんとこの前を通ったら、うっそうと

 

 茂ったのが切り払われて、地上2mくらいでさっぱりと

 

「大刈り込み」みたいになっている。ははあ、彼は

 

 ついに落っこちてどこか痛めたんだな。でも、低い

 

枝をチョキチョキやるとか、チャドクガ退治とか、

 

暇つぶしの種は十分のこってるさ。

 

アナグマさんはすっかり元気になって、また早朝に

 

 出かけようとする。娘さんが(普段は7時起きなのに)

 

 5時半に無理やり起きて新聞を買ってくることになった。

 

 家族って、この時のために大事にほそぼそと繋いでいく

 

もんだろうかねー。ところで、赤塚不二雄の「レレレのおじさん」

 

 だって、25人もの(5つ子5組)子供さんが居たが現在

 

 独立し、奥さんも亡くなって、寂しい身の上なんだそうな。

 

ただの呑気なおじいさんが暇つぶしにホーキを持って道に

 

出ているのかと思っていた。

 

 3月雛飾りのすその方でホーキとクマデを持っている高砂の

 

 ジジババとは、何だろうか。白木屋商店さんの説明によれば、

 

 「相生の松」の化身で、「幸せに年を重ねた理想的な夫婦の

 

 象徴」だそうな。むむむ・・

 

 

 

タヌキの平常心   26

 

2019 8月

 

つかのまの「原爆週間」が終わろうとしている。

 

「被曝調査隊ー米軍」などとググッテ見ても、何もでて

 

 こない。この国家機密が公開される日はくるのだろうか?

 

原爆投下の直後に、防護服に身を固めた米医療班が現地に

 

 入り、写真も撮り、「検体」を集めたことは確かだ。

 

 それは「患者の救護」というより、文字通り検体収集の

 

 様相であったとの証言を、戦後の写真週刊誌で読んだ。

 

 なぜ隠すのか?公開すればスミソニアンのナチ資料館がドイツの

 

 負の歴史を強調展示していると同程度に、「善良なアメリカ」

 

 の負の歴史を晒すことになるからであり、当局はそれを十分

 

分かっているからだ。あの恥を知らぬ残虐なナチスでさえ、

 

 一般ドイツ人の目の前でユダヤ人殺害をやってみせることの

 

不利益を知っており、だからわざわざ旧ポーランド領にまで

 

輸送してから殺害したし、その事実を隠滅するために、全てを

 

穴に埋め、最終的には掘り起こして焼却し、連合軍の目を

 

欺こうとした らしい。日本ではいまだに「ホロコーストなんか

 

無かったこと」説を、 宣伝している輩がいるが、曰く

 

「あんな小さな噴出口から、 大量の人間を殺すに足るだけの

 

薬物をまけるわけがない」とか、

 

 「ガス室からは青酸ガスの痕跡も発見されなかった」とか。

 

埋められた遺体や持ち物は掘り起こして焼却され、その作業に

 

使われたユダヤ人たちが最後に殺害されたという。

 

広島、長崎の「被曝直後の写真はごく少なく、わずか2点だけ」

 

などという 事を読んだ。最近、写真に代わるものとして、

 

生存者の記憶によって描かれた生々しい被曝図が集められ、

 

数を増しつつあるという。残り時間はわずかしかない。

 

その一部は、ぜひ教科書に載せるべきだ。

 

 「核の傘の下にいる者(日本はその第一番目)は、

 

核兵器強国の 繁栄の手伝いをしているのです」との

 

サローさんの言葉は真実だ。

 

 

 

 

タヌキの平常心  27

 

京都アニメーションの、文字通り、火葬にされた

 

棺のような黒焦げの建物を見ると、一般にアニメーターの

 

働く現場の労働環境がどんなものか、胸が痛む。例えば、

 

貸しビルの1部屋にアルバイトの中高生を集めて色塗りを

 

やらせている、あまり質の良くないプロモーションだと、

 

時給はどれくらいか、 適当な休みをとれているか、

 

特に防火設備や避難路が確保 されているか、などが

 

気になる。京アニは別格だった?

 

プロの優秀なアニメーターの集まりだから、設備環境は

 

ディズニープロ並み?は無理にしても、及第点だった?

 

(過去にマージャン兼飲食屋などが火災を起こし、大量の

 

 客を死なせた場合、消防法違反で社長が起訴されるなど、

 

 大いに世間を騒がせた)。

 

またタヌキのような素人にとって、「漫画の脚本のみを

 

一般募集」というのが解せない。漫画じゃないよ、アニメ

 

 だよ、というのかね。なるほど、作家とアニメーター

 

 のコラボレーション(タヌキの嫌いな言葉)だって?

 

 だが、その応募作品のうち、選に漏れた作品への対応が

 

丁寧なものだったかどうかは、疑問だ。

 

 (作品募集に応じる素人の心の内を、誰も忖度なんかして

 

 くれるものか。時には選考結果の発表もなし、取りやめ

 

 かと思っていると、「この度●●社のコンテストに優勝

 

 いたし、おかげで売上倍増・・」なんて広告が出て、

 

ははあ!その手のコンテストだったか、と、やっと

 

気づいたり)

 

犯人の肩を持つつもりは全くない。

 

 しかし、アニメーターの生活向上のため、、せめて

 

アメリカなみの組合組織が必要ではなかろうか。

 

 

タヌキの平常心 28

 

 この所、妙なことに女房どのが、猫なで声で

 

 

 

嫌に丁寧な物言いをするようになったのが気に

 

かかる、いや、気にさわる。かんがえてみると、

 

例の奈良行きの件いらい、タヌキのボケ具合が

 

 本物になったと確信したらしい。話はこうだ。

 

 奈良に着いたら即電話を入れろと言われていた。

 

 で、ホテルの側の公衆電話{ピ・ポ・パじゃなくて、

 

 昔ながらの)から市外通話をかけたが、「ただいま

 

 その電話番号は使われておりません。おかけなおし

 

 を・・」とてつながらない。別の場所でも同様。

 

 あせったが、しかたない。夜になって、ホテルに

 

 

 家から電話あり、訳を話すも「番号まちがえたん

 

じゃないの?市外局番は0からだよ。」まさか!

 

で、帰りにはJR桜井駅からピポパでかけるとすぐ

 

これはつながった。「やっぱり番号間違えたんだ」

 

ということにされたらしい。「新横浜に着いたらすぐ

 

電話頂戴」といわれたが、昨今、数少ない公衆電話を

 

 探して、駅構内の人混みを不自由な足で歩きまわる

 

 のは大変なんだぞ、これからまだ横浜線に乗らにゃ

 

ならんし・・と、無視してやっと帰宅。家では、

 

なぜ電話が来ないかと大変ご心配で・・

 

NETで「市外通話つながらない」を探してみたが、

 

ひとつだけ、「ツーという通話音を聞いてから

 

 番号を押すこと」というのがあった。ははあ、

 

これだな。普段は受話器をとるが速いか、すぐ

 

ツーが鳴るので、意識せずにすぐに番号を押して

 

いた。だから、もしかして0がぬけていたのかも

 

 なー・・と、言い訳がましく言ったところで、

 

 「オジイチャンは自宅に電話もかけられないで」

 

の評判は取り消し様もない。

 

ところで、PさんとQさんは日頃仲良しの2人組

 

だが、Qさんの内臓の手術以来、この関係が

 

 変わった。つまりPさんはQさんの保護者に任じ、

 

朝、ひと目の少ない時間にリハビリのために散歩

 

 するQさんを待ち受けて一緒に行く。手には

 

ペットボトル入りの水と、帽子か何かを抱え、

 

 「熱中症には用心せんとな」と言い、何十分置きかに

 

ベンチに座らせようと気を配る。ところが猛暑の

 

夏の半ばにQさんは突然転居してしまった。

 

タヌキも人一倍意地っ張りであるから、例えば

 

 6ヶ月に一度、銀行にゆき生活費を下ろそうとすると、

 

例外無く「これは何にお使いですか?」(オレオレ

 

 詐欺にわたすんじゃ?)と聞かれる。「生活費!」と

 

 ツッケンドンに答えながら、(よけいなお世話じゃ!

 

 年金以外に余分の金なぞないわい)腹がたつ。

 

 払い戻しの用紙に書き込むのも、以前のように

 

 はいかず、けたを間違えたりする。「キャッシュ

 

 カードになさっては?手数料お得ですよ」だって。

 

 そりゃ銀行さん、あんた方の利便でしょ。カード

 

 にするから詐欺がやりやすくなる、それも詐欺師の

 

 利便でしょ。

 

自分で自分の失敗や不手際を自覚することは易しい。

 

でもそのことへの世間一般の評価を気にし出すと、

 

それがたとえ善意にあふれたものであっても、本人

 

 には耐え難いこともある。「時に失敗することが

 

 あっても、俺が俺であることは変わらないんだ。

 

 だから今まで通り付き合ってくれたらいいんだ」

 

 とね。

 

 

 

タヌキの平常心   29 

 

 8月19日  朝日新聞より

 

AI兵器が攻撃判断禁止」

 

<<人口知能(AI)を搭載するロボットについて、

 

 20日からスイスジュネーブで開かれる国際会議

 

 で、兵器自らが標的を選んで殺傷の実行を判断

 

 することは認められないとする指針案が正式に

 

 採択されることになった。法的拘束力はないが、

 

 国連安全保証理事会の常任理事国や日本など

 

主要国はいずれも同意する見込みで、AIロボ

 

 兵器を開発する上での事実上の国際基本ルール

 

 となる。>>

 

殺し方にはいくつか方法がある。

 

1. 屠殺=主に4本足の動物を、2本足の動物が

   殺す。

 

2. 虐殺=2本足の動物が、丸腰の2本足動物を

   襲って刃物や銃で殺す。

 

3. 戦争=銃や大砲やミサイルを持った2本足

   動物が、2手に別れて互いに殺しあう。

 

4. 細菌爆弾あるいはAI兵器戦争=AI兵器

  を使った2本足動物の殺し合い。兵器の

  後ろで操っている人間も命の保証は無い。

 

  敵の「民間人を標的にしない」のもウソ。

   結局、AI兵器の標的は、敵のAI兵器や

   軍事基地だったとしても、「戦争を

  終わらせる」「降伏させられる」のは

  兵器ではなく、生身の2本足だからだ。

   (民間2本足を痛めつける必要があるのさ)

 

5. 野放しロボ戦争、あるいは殺人ロボ横行

   社会=2本足は悪くない、悪いのは不良

  ロボだ。(何やらピストルは悪くない、

   悪いのはそれを悪用する人間だ、

   の屁理屈の裏返しのような)

 

 ついに兵器が2本足動物を支配する

 

 世界が到来しそうだ。

 

兵器の開発、進化?の行く先が2本足の

 

絶滅なら、それはそれでメデタイこと かも知れぬ。

 

 

 

タヌキの平常心  30

 

買い物帰りの午前11時。猛暑。公園のケヤキの

 

大樹の 下でベンチに腰掛けて、20分ほども長居して

 

しまった。(カートの中の冷えた牛乳にくっつけてある

 

アイス は無事だろうか?)

 

木陰を渡る風が心地よい。実は、バスのりば以外で

 

 ベンチを利用したことがないのに気づいた。

 

昔、街道筋にケヤキを植えたのは、荷馬が暑さにやられ

 

ないようにするためだったという。今でいう街路樹だが、

 

 これが、夏も冬も5分刈の頭みたいにさっぱりと刈られて

 

車通行の邪魔にならんようにできている。

 

話はチョットちがうが、昔むかし、奈良の小さな寺

 

でのこと、紅白の花が咲き分けになっている五色椿の

 

大樹が庭にあり、23人の村人が花祭りの準備をして

 

いる。 何やら櫓のようなものを竹で組み立てており、

 

あたり一面に 紅白の花が散り敷いているのを、本堂の

 

祭壇にも盛り上げて ある。むかしの寺の境内という

 

ものは、垣根もなく、そこそこ 広けた地面が、村の

 

祭りや集会や子供の遊び場として利用されていたと思う。

 

ところで、最近その寺に行ってみたところ、 五色椿は

 

小さく整えられ、竹垣で囲われて「五色椿」の看板

 

立っている。他にも植え込みや竹垣で順路ができており、

 

 観光用庭園と化している。タヌキは本堂に詣でる気も

 

失せて、 帰ってしまった。村人はどこかへ蒸散したらしい。

 

公園とは、どこからでもナナメに横切れる、涼しい木陰が

 

あり、 疲れた老人の休めるベンチがあり、若者が語り合う場所、

 

 幼児がころげまわる場所がある、それが当たり前だろうに。

 

ここにはいわゆる「日本庭園」は要らない。

 

 

 

タヌキの平常心  31  

 

 

タヌキのオヤジが、たった3日間だけ居た

 

老人ホームの ことを思い出した。

 

そこは稲作地帯のはじっこにあり、窓からは

 

隣の 墓地が見晴らせる、(要するに元は畑

 

だった安価な) 土地に建った新しいホームで、

 

民間の経営だ。 タヌキ母さんが「私が見つけた」

 

と言って いたが、まだ少しは平常心の残っていた

 

オヤジは、 たった3日でそこを飛び出した。

 

ところで、タヌキは日頃奥さんには、こう言って

 

いる。「金のかからないとこでかまわないが、

 

墓地の隣だけは やめてよね」

 

そこではかなりの人数のおボケさんが広間に

 

つめ込ま れて食事をしているか、させてもらって

 

いる。 一人一人状態は違っているので、介護は

 

大変なこと だろう。食事がすむと、各自ベッドへ

 

戻るか、テレビを 眺めるか、居眠りするか、

 

で、介護師さん達は一休み、 するのだが、どうやら

 

狭い通路(車椅子がやっとすれ 違える)の片側の

 

ベンチが定位置らしい。

 

 いったい、彼女らのための休憩室はあるのかしら?

 

 給与は十分もらっているだろうか?と心配になる。

 

で、タヌキは日頃奥さんに頼んでいる。

 

 「頼むから、俺の平常心が少しでも残っているうちは

 

家に置いといておくれ」と。

 

 奥さんの返事は「あなたの平常心て、自分のやりたい

 

 ようにやる、やりたいことしかやらない、でしょ。

 

 好き勝手に物の場所を移したり、床ふき用の雑巾で

 

テーブルの上を拭いたり、それをそのまま4つに畳んで

 

テーブルに置くもんだから・・」または「ガスを点け

 

たら、 まどを開けて換気扇をまわして!」「ヤカンに

 

ふちまで いっぱいお湯を沸かさないでよ、もったいない」

 

 「一人で外出しちゃいけませんよ。また転んで、人様の

 

 お世話になって家に帰ることになるから」とか。

 

お世話になっております、としか言いようがないが、

 

 平常心を失う、言い換えれば別人格に変わる、とは、

 

 例えばその人の目の中に、キラリと不気味な輝きが

 

 現れて消える、そしていままで見せたこともないような

 

 暴力的な言動に出る、というような場合だ。

 

例のホームで、日頃おとなしいオヤジが、看護婦さんを

 

ぶんなぐったと聞いて仰天した。だけど、相手がお医者

 

サンだったら、手を出さなかっただろうと想像すると、

 

 まだどこかで「わかっている」部分もあるらしい。

 

 「枕元でそんな話をしちゃいけませんよ。案外分かって

 

いらっしゃるものです」と、病院の看護婦さんに注意

 

 されたこともあったっけ。

 

 

タヌキの平常心  32

 

万世一系とか、天孫降臨伝説とか、いわゆる「日本の

 

お血筋」信仰とは、 明治以来、ドイツ国民は純粋ドイツ人

 

でなければならぬという、ドイツの血統主義を手本にした

 

ものだという。現在のドイツでは出生国主義で、日本人の

 

子供でも、ドイツで生まれれば、二重国籍を取得出来、

 

ドイツ人としての法的地位を与えられ、保護される。

 

難民についても、 きちんとドイツ人として受け入れている。

 

それはナチ時代に、例えば ロシアとの協定により、ロシア

 

国内のドイツ移民を新しい占領地である 旧ポーランドへ

 

帰還させるに当たって、ポーランド在住のユダヤ人を

 

 追い払い(実際は虐殺し)、その跡地に帰還ドイツ人を

 

住まわせるなどという、禍々しい国策への贖罪から出た

 

ものでもあり、また、そのむかしは 移民としてロシア、

 

ポーランド、アメリカ等に稼ぎに行かねばならなか った

 

時代もあった事実(ちなみにトランプ氏はドイツ系移民の

 

末裔とか)が導いた結論だろう。

 

人類はアフリカで生まれ、全世界に拡散した、というのが

 

現在では科学的に証明され、定説として確立しているのに、

 

なーにが「天孫降臨」 でしょうかねー。つまり、皇室は

 

神の直系の子孫だという。DNA鑑定でも したらいかがかな?

 

人間のDNAではないかもよ。

 

閣改造。その目玉は「憲法改正」だそうな。

 

「令和から始める新たな素晴らしい未来」って、どんな

 

未来だろう?

 

虚しい言葉アソビで国政が動いていく、只なんとなく。

 

 「災害は予測しがたい。特に今回のはひどい!」と毎回

 

言ってる東京電力。

 

 (1019 9月 風台風が東京湾通過。停電断水被害甚大)

 

 

 

 

タヌキの平常心 34

「階段を昇るということ」  2019 9

 

 

 

買い物用のカートは普通女性(それも中年以上の)専用

 

である。 どういうわけか、男がこれを使うのは、何とやら

 

のコケンに かかわることであるらしい。反対に、自動車

 

運転免許証は 生涯手放してはならない、(たとえ、ひとを

 

轢き殺してでも)のであるという。

 

キツネは自分の杖代わりに長年これを愛用しているが、

 

最近 このあたりでは珍しく、同志に出会って、話をした。

 

彼は若い頃からの腰痛障害で、車運転係の奥さんを亡くして

 

からはずっとカートのお世話になっているという。

 

「階段の登り降り、これが一番の難所だねー。重い荷物に

 

引きずられて下までおっこっちゃったことがある」という。

 

最近は駅に続くアーケード街などでは、所々に歩行者用の

 

 エレベーターを儲けてある所があるが、これは○、だが

 

 エスカレーターは✗、(カートを使っているのは、大抵

 

 体力や運動能力弱者だから、重量のある物をうまく支え

 

られない)。で、買い物は一つのスーパーマーケットで

 

すませる。ホテルでもどこでも、地下から直接入れる所に

 

 限る、(と、内閣改造お披露目のひな壇をテレビで見ながら

 

 彼は言った)「ここに女閣僚を(適材適所で)載せるだろ。

 

 女性活躍社会だとさ!今に車椅子議員を上から5段目に

 

 並べるとする。1億総活躍社会だとさ!(どうやって上段

 

まで 持ちあげるかな)・・ひな飾りちゅうもんは、3月3日

 

中に仕舞わなければならん。そうでないとタタリがある

 

そうな。せいぜい1週間のお飾りじゃね」。

 

キツネは最近、2階へ行くのに、これまでのように足腰の

 

 鍛錬と称して少し重い物を持って上がる、とか、若いころ

 

ように一段ヌキで上がるようなことはやめにした。肺や

 

 心臓がバクバクしないように、気をつけてゆっくり上がる。

 

急がない限り息切れは無し、だから胸に病気はないことに

 

したい。息切れも足腰のよろけも歳のせい、と思いたい。

 

コホン!と咳をしただけで、ホレ老人性肺炎かも!医者へ

 

 行け、とかすぐ言ってくれるな。万が一肺炎になったとして、

 

ある医者が言うには「肺炎は老人の良き友。何となれば、

 

 高熱が出てうなされている間に(楽に)あの世に行ける」

 

 からだとさ。

 

なぜ急ぐ?なぜ気持ちが先へ先へと体に鞭打って、

 

 いつもあわただしいのか?

 

 せめて階段はゆっくり登ろう。只今の体の要求を第一に、

 

 楽しい仕掛けを第二に、忘れていた洗濯なんかは第三に、

 

 義理の付き合いならば、なるべく忘れたふりをしよう。

 

(それが後期高齢者の特権だ)

 

階段を昇るという事については、最近気づいたことがある、

 

例えば、以前から曲がっている左足をかばって、右、左で

 

1段昇るようにすると、左足は傷まないし、心臓も

 

ドキドキしない。だが時間がかかり、用事がはかどらない。

 

右一歩、左一歩で2段登ると、左が文句を言う「イテテツ」。

 

大急ぎで駆け登ると、心臓がドキドキバクバク、「もう

 

死にそう」な騒ぎ。

 

で、火事にでも合わない限り心臓さんや左足さんのことを

 

慮ってゆっくり昇ることにした。命は惜しいからね。

 

だけど、ぜひ必要とあらば階段を昇らねばならない。

 

ゆっくりと。

 

 

 

タヌキの平常心ー35

 

「なったらそれっきりではなかった」2019.9 26(木)

朝日新聞

 

 

<<認知症治療の第一人者である精神科医の長谷川和夫さん

(60)が、自分が認知症だと公表してまもなく2年。認知症と

ともに生きる現在の暮らし、気持ちを尋ねた。「認知症に

かかったらそれっきり、ではなかった」。語ってくれたのは、

認知症についての新たな気づきだった。>>

 

 

 

「普通に暮らす分にはなんとか支障はないけど、物忘れが

 

ひどくなってね、自分の中の「確かさ」があやふやになって

 

きました。朝起きて少し時間がたつと、今が昼か、まもなく

 

夕ご飯なのか、はっきりしなくなる。外にでかければ、ふと

 

「あれ、自分はいまどのへんにいるのかな」と思ったり。

 

そんな感じです。ーーー

 

 昔はね、認知症というガチッとした状態があって、なったら

 

なったでそれっきりと思っていた。とんでもない間違いでした。

 

認知症というのは決して固定した状態ではなくて、認知症と

 

そうでない状態は連続している。つまり行ったり来たり、

 

なんだね。 私の場合で言うと、朝一番から昼ごろまでは割と

 

スッキリしている。午後1時を過ぎるとだんだん疲れてきて、

 

晩御飯の前は最高に認知症っぽい。翌朝にはまたぴかぴかの

 

自分に戻っている」。

 

 

 

<<診断を受けてからも、1人で杖をついて外出し、喫茶店や

 

マッサージの店に出かけていた。ただ、今年の7月、散髪の

 

帰り道の横断歩道で転倒してしまった。>>

 

 「それで、歯が欠けてしまってね。それ以降は1人の外出は控えて

います」。

 

<<すべての人に訪れる死を前に、神が与えてくれた「恩寵」かも

知れない。キリスト教徒である長谷川さんは、認知症についてそう

考えるようになったという。>>

 

「僕は心臓の病気もあるから、本当に死を考えたら不安でいっぱい

 

 だよね、神様はその不安を和らげるために、私を認知症にして

 

くれているんじゃないか、ならば、神の手にまかせようと。

 

もちろん、これは あくまで僕個人の気持ちであって、全ての人に

 

あてはまるわけでは ありません。

 

いずれにしても、生きているうちが花で、過去ではなく今を

 

生きること が大切。明日やることはちょっとでも今日手をつける。

 

そんな心がけで 生きようと思っています。ーーー

 

 タヌキの感想文ーーその通り、その通り!!

 

「認知症の診断が出たら、少しも早く施設に収容して、専門医の

指導に 従って症状を軽減する、または発症を遅らせるようにすべし」

なんていう ご意見の人も多いが、以前にタヌキの平常心31に

登場したオヤジのように、昨日は少し変でも、今日は「ここは

墓場の隣だぞ、それに、看護婦さん達は疲れきっている様子」

「こりゃ、ココには長居は無用」とばかり、平常心を取り戻し、

やむなく非常手段を使って逃げ出した。

 

 また、健康オタクのJさんは、市の無料健康診断を毎年忘れずに

受けて いるが、それで近所の内科へ行ったところ、「今月25日まで

お休みを いただきます」の張り紙を見て、がっかりして帰って来た。

それで、25日の朝に「お休みはいつまでだっけな?忘れちゃった!」

という。「たしか今日までとあんたが言ってたぜ」とタヌキがいうと、

「ほんとか?おれの頭もこの頃確かでないからなー。もっかい行って

 みてこよ」と、出かけていった。すぐに帰ってきたが、プンプン

怒って いる。「あの医者の野郎、カギを厳重にかけてやがって!!」

タヌキも一緒に見にいってみると、「25日までお休みをいただきます」

とある。「なっ、今日から営業すると書いてあるだろ!

 今日は25日だよな!」とJさんは言う。いくらスマホで張り紙を

撮影 したって、「までおやすみ」と「から営業」の境目があやふやに

なった Jさんには何の役にも立たないのだ。時々ちょっとした間違い

はある。でも、健康に気を使っている男Jさんはタヌキよりも

エライと思う。

 

後日談ーー「4〜5日はあけて、客が少なくなってから、ゆっくり

みてもらいなよ」という忠告をするのをタヌキが忘れたもんで、

Jさんは早速26日に、朝一で医院にかけつけた。

ご他聞にもれず、その日は朝から、Jさん同様こらえ性のない年寄り

連中が、待ってましたとばかりつめかけて、超混雑。けっきょく

腰痛や慢性病患者に押しのけられて?健康診断なんか2時間待っても

受けられず、「俺はもう帰る!」と言うことになった次第。

当分はもっと遠くの内科医院に通うはめになるだろう。

 

年寄りはどうして何でも「すぐにとりかかり、すぐに結果を出し、

すぐに満足を得たがるのか?

うまくことが運ばないと、イライラと怒るのか?

 

タヌキが思うに、頭の中の「聞く耳」や「距離を見極める目」が

すっかりダメになって、一瞬で対岸に飛び移れる、夢のジャンパー

ムササビ男(そんなのあったっけ?)と化している。

 この辺は長谷川先生のおっしゃる「行ったり来たり」からもう少し

だけ進んだ「生き急ぎ」状態ではなかろうか。周囲からは

「自分のことばっかり!」「ボケたもん勝ち」と言われるし。

 

死はもうすぐそこまでちゃんと来て、待っているんだ。

急ぐことはない。あせることもない。それを自覚すれば、

長谷川先生のように「行ったり来たり」の穏やかな

晩年を過ごせるだろう、と、無宗教者のタヌキも

そう思った次第。

 

 

 

タヌキの平常心ー 36 

 

今日は、手元の現金がさびしくなったので、町の銀行へ行った。

 

いつものことだが、窓口での審査はきびしい。「このお金は何に

お使いですか?」「生活費」とタヌキ。で、「現金でお持ち返り

で?」(こんなに沢山、信じられない、というニュアンス)

おまけに、キッチリ注意して押した印鑑を再度ご自分で押して

確かめたり、(こんな窓口業務、ほんとは嫌なんだが、という

雰囲気を漂わせた)。

年金2回分だ。たいした額じゃない。それにバス代1回分を節約

したい。(これだからジジイはいやだ、とまでは言わなかったが、

今どき現金を持ち運ぶとはなんと時代遅れなやっかいな種族め、

と思ってるでしょ?)

 

ベンチで待っていると、後ろの席で若いご夫人が行員につかまって

いる。「キャッシュレス化をおすすめしております。スマホお持ち

ですか?」「いえ、私はガラケーです」「近々に入手なさるよう

でしたら、ぜひ当行のおすすめするxxペイにご加入ください」

「いえ、当分その予定はありませんから」と、軽々といなされて

しまい、タヌキは内心拍手喝采。このベンチで待っているのは、

キャッシュカードなしの窓口主義の人たちで、結構数も多い。

 

さて、私の番になったら、「キャッシュレス化に協力したら、

おれの預金をうんと増やしてくれるのかね?」などと嫌味を

言ってやろうとおもったのに、ジジイのところはパスして

行ってしまったのは残念。

政府主導のキャッシュレスフィーバーは、どこかで破綻するに

ちがいない。「年金は現金化出来ない」が常識になり、(現に

どこかの国で、「当銀行は現金を扱いません」との張り紙がだされ

たとか)銀行員は機械に取って代わられ、国は紙幣など

(いらないから)発行せず、となれば、年金はどういう形で

支払われるか?まさか「国債」で?各種の救貧対策費は勿論

「配給券」だろーね。

 

 

タヌキの平常心 37 

 

 

 

本日はタヌキが唯一歯医者の他に通う、MRI検査(通うと

言っても2年に一度)に行った。先日の日本ザル君の緊急事態に

怖気をふるったわけでもないが、結果、脳みその状態は、

前回とほぼ同じで特に心配するような梗塞はなし。

「男80歳は現在の日本の平均寿命。ここをほぼ健康で通過

できれば、あとは適度な運動と、自分の楽しいと思う事をやる、

それだけでいい。私はこういう状態の老人であれば認知症なんか

認めない」との診断。(認めないという意味は、今盛んな

化学療法やら薬やら、医者の勧める「認知症治療法」なるものは

大抵グローバルには効果を認められていないのに、なぜ日本人は

医者の言うことにいちいち振り回されてしまうのか?という)

 

 タヌキはホッとしてうれしくなる、でも、突然エアポケットに

でも入った ような頭の混乱・・取り違え、物忘れ、自分勝手、

自説の矛盾にちっとも気づかずあくまで言い張る、・・MRI

はひっかからないボケジジイ状態 は、どうしたもんだか。

長谷川先生の「行ったり来たり」が「行ったきり」にならない

ようにするにはどうしたらよいか?と、別の心配がわいてくる。

「適度の運動、自分に楽しいことをやる」だけでいいのかな?と。

 

タヌキの平常心  38

 

ところで、タヌキは最近、パソコンのやり過ぎのせいかも

 しれないが、ふっと何かの野草の姿が空中に見える時が

 (一瞬だが)ある。また夜に眠りが浅い時、ベッドのわきに

 油の煮えたぎる鍋があって・・という恐ろしい幻を見て

 目が覚めるなどということがある。「寝ぼけ」にもほどが

 あるが、明け方の「寝ぼけ」は若い頃からあったので、

 めずらしくはない。ただし、荒唐無稽な夢でも、同じ場所、

 同じ登場人物で繰り返されると、映画のロケ現場みたいに

 頭に染み付いてしまうらしい。「チェッまた変な夢を

 見ちゃった」と頭を切り替えられるから良いようなものの、

 ボケが進んで、その境目を越えると、どうなるのだろうか。

 その登場人物とは自分自身で、どこともわからない街を

 うろついて、どこかへ往こうとしているが、道がわからない

らしい。ひたすら歩きに歩く、ただそれだけ。親も兄弟も

 登場しない。

 

こういう危なっかしい頭なので、いずれ境界を越えるだろう。

昔の映画で、ジャン・マレー主演の「オルフェ」というのが

 あった。鏡が冥界への入り口になっており、主人公の青年は

 死んだ妻を取り戻すため、そこから出入りするうち、最後に

 冥界の女王によって冥界に連れ去られてしまう。つまり詩人

 である青年は、女王にゾッコン惚れられて誘きよせられたと

 いうわけだ。

 

異界探検などは頼まれてもお断りだが、多くのお年寄りが、

 どこか別の場所に憧れて、そこへ行きたいと願っている、

 それは確からしいと思う。良く映画のストーリーにある

ように、生まれ故郷だったり、両親の住む昔の家だったり、

 または行ったこともない極楽浄土だったり、何にせよ、

 良い所らしい。

 

 

だから、長谷川先生の仰せのように、誰かが親切に迎えに

 来てくれて、穏やかに連れて行ってくれればそれでバンザイ!

 (先生の場合はその誰かはキリスト教の神ということだし、

 タヌキの場合には「老衰」という生物プログラムの一つで、

 これ無くしては困ったことになる、必要不可欠なものだ)

西洋の民話に、「死神を騙した兵士」の話が出てくる。

 病人の枕元に死神が来た時に、これをだまして追い返す

方法を知った兵士が、名医として有名になり、王の跡継ぎ

 を死から救って、名誉と金と地位を手にしたが、晩年彼が

 病に倒れると、死神は恐れて寄り付かない、天国も地獄も

 門を閉ざして入れようとしない。そこで彼は死ぬことを願い

 ながらこの地上を永遠にさまよい続ける。今も・・という。

 

80歳から100歳の間くらいは、人間平常心を取り戻して、

 浄土からのお迎えを待つ期間として静かに過ごすべきじゃ

 なかろうか。もちろん、働いてはならんというのではない。

 経済立国の名のもと、自分らの利益ファーストではなく、

 動物も含めた地球全体の利益のために知恵を働かせる、

その知恵を活かすための地球規模の組織作りも大切。

 経済獣みたいな連中に国政をまかせ、おこぼれを頂いて

 満足している大人達への子供達からの抗議を支援すること。

 「理想なんてシラジラシイ」という強権志向の政治家達

 から教育権を奪い返す運動、その他、後期高齢者にも

 やることがいろいろあるでしょ。ね!

 

人間はまもなく滅びる運命だといっても、今の有り様は

 あまりにもひどすぎる、とタヌキは思います。

 

 

 

タヌキの平常心   39

 

2019年  10月11日 

朝日新聞「オピニオン&フォーラム」より

 

「あいまいさ」政権の戦略 > グレゴリー・ノーブル氏

 (専門は東アジアの政治経済分析)

 

<<私は、長期的には日本の財政の健全化が必要と考えて

 います。高齢化で社会保障費が増え続けるなか、政府の借金が

増え続けるのは問題であり、いつか危機的な事態に陥るでしょう。

  ただ、その危機がいつやってくるのか、はっきりわからない

状況が長く続いています。だから、日本でもにわかに「反緊縮」が

注目されはじめたのです。>>

 

 *タヌキ注: 反緊縮財政とは、現在の日本政府が財政運営の

  拠り所としているMMT(現代貨幣理論)つまり、自国通貨建てで

  国債を発行出来る政府は、赤字を気にせずに財政を拡大できる

  という理論に従い、社会保障や教育、保育、防災など、国民の

  生活改善のための積極的財政支出をすべきである、という主張。

 

<<財政規律を重んじる財務省は「日本のGDPに占める公的負債

 の比率は230%を超え、もはや危険水域にある」と強調しています。

多くの経済学者も10年前から「このままでは日本は財政破綻した

 ギリシャの二の舞いになる」と警告してきました。なのに、日本の

 財政は今も破綻しておらず、金利も一向に上がる気配がないのです。

 (・・日本では、欧米ほど「緊縮」か「反緊縮」かが大きな対立軸に

 なっていないのは、貧富の差、民族、宗教、外国人住民の比率等

 をみてもまだ均質的で、社会の亀裂が生じにくいためと思われます)

  ただ、反緊縮の動きが日本で広がる可能性が全く無いとは言い

 切れません。

 

 かつての政府は、都市と地方の格差を是正するため、大都市の税収

を地方に配分してきました。しかし、財政難で以前のような再配分が

できなくなっており、都市と地方の格差は拡大しています。いまは

2%にとどまる外国人住民の比率も、労働者の受け入れ拡大で増えれば、

 社会の亀裂が生じる可能性も否定できません。

  小泉内閣までの自民党政権は行政改革や規制改革を進める緊縮志向

 でしたが、安倍内閣は、緊縮と反緊縮をあいまいにする戦略のように

 私には見えます。アベノミクスの2本目の矢は「財政支出の拡大」と

 言われていますが、公式な表現は「機動的な財政政策」です。

「機動的」とはほとんど意味のない言葉で、実際に公共投資の

 予算額はほとんど伸びていません。

  これは、緊縮財政を目指す財務省の実質的な勝利なのか。

 財政拡大をしているように見せる官邸のイメージ戦略なのかはわかり

ません。財政拡大のイメージと現実には開きがあることを、有権者も

 注意して見る必要があると思います。>>

 

タヌキの感想文; そうそう、「子育て支援」とか「教育無償化」

とか、 おかあちゃんの懐から借りてきたお小遣いで「大盤振る舞い」

したつもり。それも昨今の「うめよふやせよ」の掛け声と「働く

保母さんの 待遇改善」要求と「パパも子育て参加で時短、有給休暇

がほしい。企業は協力を」とか、何一つツメテいない、

「実施しながら繕う」 方式、つまりは安倍政権のイメージ戦略そのもの。

 その一方で、昔ながらの官僚主導の「民のためには出し惜しみ」政策。

国民には「暮らしが豊かになった」感は少しもないというのに、じゃあ

増え続ける借金はどこに消えた?

 

 まさしく「緊縮と反緊縮をあいまいにする」政権と、そのおこぼれを

 期待する経済人。その財源である国民の預金も、今に引き出されて

金(キン)に替えられる日が来るんじゃ無いだろうか? 一文無しの

タヌキには関係ニャイ話だけど、これほど人殺しだの子殺しだのが

はやる世の中と「豊かで親切な一枚岩の日本人」のイメージが少しも

重ならない。

 

だれかがどこかで笛を吹いているんだなあー。どこへ導いてゆくのやら。

 

 

タヌキの感想文−2

 

 このオピニオン&フォーラムでは、この他に2人の「反緊縮」論者

 の意見をのせています。こちらも読んでみると、MMT=反緊縮は

苦しい庶民の生活を救う「救世主」的思想だという。それをせずに

古臭い緊縮財政を続ければ、やがて貧困にあえぐ国民は既成政党に

絶望し、過激な強権政治と軍部に期待するようになるだろう。

だから貧困救済のために、今こそ大胆な財政出動を、というもの。

 

こいう議論は学者大先生にまかせておくとして、今社会に

実害として 現れていることは、潤沢な「借金」を自由に使える

(と錯覚している) 政治家の無能ぶりだ。財政運営は素人、

立法府とは名ばかりの法律音痴、国民を敵とみなす小者ヤクザ

を当選させ、これを手懐ける。

またふるい官僚組織もその首根っこを押さえてうまく利用している。

 そこに生まれるものは、党利党略と潤沢なアソビ金(無駄な投資、

無計画な開発援助その他)に群がる魑魅魍魎たち。

単に経済的な困窮だけが人を軍国主義、独裁に駆り立てるわけじゃ

ないだろう。過剰なな欲望が国家を堕落させ、政党政治をぶち壊し、

 すぐ近くの大国のような強権政治に導くこともある。

 

貧乏なタヌキ老人は長生きするにつれて、「年金制度」に

 深く感謝している。これを崩壊させないための消費増税を

 容認している。無駄な買い物を控えるだけのことだ。それが

 景気の足を引っ張るって?優遇税制があればそれでいいじゃ

 ないか。日々の糧ともいう食料と水。それこそが貧乏人の

 「経済指標」であり、それに一喜一憂しているわけで、

 バブル期並みの豊かさ(物の種類がイロイロあって面白

かった)を求めているわけでもない。その頃はもっぱら

ウインドウショッピングを楽しんだものだ。しかし、当時

流行った「一家に一台」のピアノは、いまどの家にもない。

 これぞまさしくバブル、「ピアノは高級家具の一種」で、

 「よそも買うからうちも買う」。これを無駄な買い物と

 いう。

 

お二人のうちの一人の言う「そもそも”欲張るのはよくない”

 とお金の話を敬遠する風潮が・・その消極性が、結果として

 日本に過度な自己責任論を広めてしまったのではないで

 しょうか」、そして「これからの日本に求められるものは、

 痛みを分かち合うよりも、誰もが経済活動に参加でき、

個人も社会も元気になれるベクトルではないでしょうか」と。

 この方は1987年生まれとある。「親が自分にしてくれた

 ことを、自分は子にしてあげられない。(それなのに)

 全ては自己責任という考え方が社会にはびこっていて、

いつも追い詰められているように感じます」と。

 正直で真面目で、社会運動にも積極的な若者とお見受けする、

 そして、その「ベクトル」とは、MMTであるという。

まさか、「バブル経済よ、ふたたび」だけではないのでしょうね。

旗を振るのはよいが、後ろには実にいろんな種類の起業家やら

 ヤクザや右翼や、大勢ついてくる。いくら豊富な財源といっても、

 結局は税金です。痛みを伴わずにどう分け合うのか。さてね?

 

 MMTがバラマキ財政(財政なんて言えるもんじゃない)に

 よってすでに国家に与えた幻の好景気(政府発表の数字に

 だけ現れた)と腐敗(司法、立法、行政ともに、また民間にも)

を考えると、これは将来国民に大きな災いをもたらすように

 思える。すわ独立国家の危機!と騒ぐ前に、あっさりどこかの

大国の植民地化してしまうかも・・というのが、ケチな

 後期高齢者の感想です。

 

 

 

 

タヌキの平常心  40

 

 政治家のセリフ「粛々と」にご注意。

 

例えば「粛々と閣議決定・・」とはとんでもない。

彼らにとっては能率的に、とか手っ取り早く、

の意味。だけど(これはずいぶん言い古された指摘

 だが)そもそも「鞭声粛々夜河を渡る」からきた

 言葉で、夜討ちの一隊が夜の河を密かに馬で渡る、

その「敵に覚られないようにこっそりと」、

 「鞭の音だけが静かに」の意味、つまり

 「だまし討ち」の表現だ。

 

それを承知で、表で堂々と使う国会議員、

「騙されたって、国民にはわかりゃしない」。

知らないで万事「幹事さんにおまかせ」の

忖度議員諸君、「スピード感を持って」だと。

 

 良い例が某大臣の「憲法改正にはナチス流が

良い手本だ。これを粛々と進めればうまくいく」

とかいう発言。つまり、障害になる法令をまず

 改定しておいて、権力を政権に集中するという。

 「粛々と」国民をワナにかける手口。

これを歓迎する大人もいる。「良い統治者なら

 独裁OK。ものごとをズバズバと決めて実行する

 内閣を歓迎。

 

18歳以下の若者曰く”どうやったら戦争を防げるか”

 じゃなくて、”どうやったら戦争を起こせるか”が知りたい。

 だって、戦争なしではどうにもならん世界なんだぜ

(勝たねばならないしー)」

 

厭戦感というものは後の世代に伝わりにくいものだ。

例えばホロコーストの生存者が語る戦争の実体験は、

やがて世界中から(気分を害するからと)疎外されて、

 中には「ホロコーストなんてフェイクだ」という説

まで現れた。日本でも「一億総ザンゲ」で、何もかも

水に流され、戦後、あれほど強かった「戦争はいやだ」

の感情も全く孫世代には伝わらず、「戦争するだけの

 覚悟がないのか」的な発言がヒヨッコ議員から出る

 しまつ。

 

今年の夏の台風で水に浸かった新幹線車両の図は、

 人類の記録には残っても、国の記録には残らず、

 まして個人の記憶には30年と残るまい。「そこの

地価がなぜ安いか」考えて見れば? 「必勝と

決めて始めた戦争で、負けたらどうなるか」爺さん

たちの話を聞いて見れば?生きてる今のうちに。

 

 

タヌキ的結論不動産業者のウマイ話に乗るな。

 ハザードマップに頼るべし。

 

何かというと非常事態を宣言したがる政治家の

 意図を知らずに「ホレ、中国が攻めてくる、

北朝鮮に対抗せよ!」と尻馬に乗るな。

 「専守防衛」の枠を超えて兵を動かすことを

「侵略」という。他国による「侵略」に加担

 することも「侵略」だということを肝に命じて

おこう。(この頃は「他国を助ける」との名目で

「事実上の侵略」が堂々と行われ、地球の

 あちこちにひび割れを広げており、修復しがたい)。

 

悲惨な記憶ほど忘られやすい。人間はそれに

耐えられないから。悲惨な記録はすぐ消される。

 

それは権力者にとって都合の悪い「事実」

 だからだ。「戦争カッコイイ!ぼくもやりたいな」

 と思うなら、過去の戦争の記録、軍事費を

 どれだけ準備したか、戦勝後の経済効果をどう

 見積もったのか、勝てなかったのはなぜか、

 君が参謀総長になったとして、敗戦の責任を

 どう取るのか。また「侵略」に同意した議会と

国民には何の罪もないのか。それらをよく

検証すべきだ。日本軍の大風呂敷の広げっぷり

 と、「味方兵士を何百人犠牲にすればあの高地

が分捕れるか」といったあきれた計算」を

よく勉強したまえ。戦争にもハザードマップ

 みたいなものがあるとすれば、改憲の号令が

 出されそうな今こそ広げて、議論の土台

にすべきでしょう。

 

  

 

タヌキの平常心  41

 

美しく勁き(つよき)日本」とは、櫻井よしこ氏の叫ぶ

 シュプレッヒコールみたいなものだろうか。

 本当に氏の頭の中にある「かくあるべき日本像」なんだろうか。

 彼女はタヌキよりも5年遅れてハノイで誕生し後に日本へ帰国し、

 慶応義塾大学中退、アメリカ留学、ジャーナリズム学を学んで

 後にテレビキャスター等で「人気者」となった人だ。

 最近のテレビ番組で、台湾統治における日本政府の「温情」と、

 敗戦時の民間人引き上げについての日本軍の整然とした行動など、

 「台湾人は日本統治に感謝していた」または「このように日本

 とはすばらしく美しい国なのだ」と、例の美狐の微笑みを浮かべて

 強調していた。冗談じゃない。無理やり日本語をしゃべらされ、

 日本名に変えられ、どこの神とも知れないテンノウを拝まされる、

 台湾の人たちの身にもなってごらんなさい。中国でもビルマでも、

 過去の「日本憎し」の押し殺した声は未だにくすぶって、現在の

 日韓関係のように、これから表面化してくるのかもしれない。

 要するに彼女は昭和の戦争に、当然ながら直に立ち会っていないし、

 知ろうともしていない。対象を真面目に取り上げず、検証せず、

 ただ美化する、あるいは「奇を衒う」のでは、ジャーナリスト

の名が泣くだろう。「奇を衒う」と言ったが、これは女史に限らず

 日本会議も安倍首相も、旧天皇制回帰こそ「美しい日本の未来」に

 つながるというウソを、あたかもオレオレ詐欺のように、食いつきの

 良いエサとしてしかけ、国民をたぶらかそうとしている。

 

神武以来の天皇家の血脈への信仰(そんなものがあったとはタヌキは

知らないが)は、天皇の「民よ安かれ」との熱烈な祈りへの感謝に

 由来する、とかなんとかいうセリフをどこかで読んだが、ホントかね。

「学校教育では、天皇制について一切教えていない」と非難し、米軍

 による「国家神道の排除」は間違っていると非難している。彼らの

 いう「現人神の道」が「教育勅語」となって、政府の「非常時大権」

 行使の理論武装に使われた、そのことの結果は問わず、その効用だけを

 思い出し、「教育勅語も悪くない」とは良く言うぜ。もともと

 理論武装は苦手な人々だ。他に民主主義的で「国民に納得して

 いただける教科書」を書ける人材もなかったのだろうな。

 いずれにしても、神社本庁との利害関係を噂されている自称

 ジャーナリストにいつまでもだまされているようでは、日本人

 のオツムの状態が疑われる。ボケ老人じゃあるまいし。

 

追記: 最近スペインでは、国の戦死者慰霊墓地から、フランコの

像が撤去されたそうな。これぞスペイン人の良心、タヌキ流に

申せば路地裏の平常心が健在と、拍手を送りたい。

 

 

タヌキの平常心 42

 

 

 

国民投票法に新提案!

 

「憲法改正国民投票は、全有権者数の95%の投票率を

 以て成立し、有効投票総数の3分の2の賛成票を以て改正される」

 てのはどうでしょう。

投票をサボった国民は”居眠り国民”として追加税率を適用。

 

現在の国民の賛成意見+反対意見=「分母」とすべきなのに、

国会議員選挙のように40%の投票率を以て分母とされ、その

2分の1の20%を超える票が「国民の意思を代表する」とされ、

 20%以下+居眠り票=80%以下の国民の意見は「国民の意見に

 あらず」ということになれば、”多数決”どころか”少数決”だ。

 そうならないためには、ぜひとも投票率95%、つまり

 国民の関心が最高に高まった状態に持っていくことが必要。

 地球規模の戦争か地球規模の対話か、強権政治か民主政治か、

 居眠りがちな頭をたたいて、自分なりの答えを見つけよう。

 

また、2分の1以下、つまり僅差で”非国民”とはいただけない。

せめて3分の2とすべき。でないと”国民の総意”はウソになる。

 

ちなみにドイツでは、第二次世界大戦後、ナチスの悲劇を二度と

くりかえさないため、憲法には国民投票法を入れなかった。

投票率45%くらいの「居眠り国」日本が、うっかり国民投票なんか

やったら、とんでもないことになる。

しかし、その「とんでもないこと」が、自民党や日本会議の目標

なんだからな。だから、憲法の中身よりもまず国民投票法を

議題として真っ先に持ってきたわけだ。「粛々と」ね。

国民は憲法改正の必要なんか感じていない。だから国民投票

などやる必要なし。

 

 そんなことより、現実の激甚災害の全容も未だに把握されていないこと

のほうがもっと重要だ。 国会はウロウロするだけの素人集団で、何一つ

まともな答弁さえも出来ないらしい。 それというのも、首相個人の人格

が大きく影響しているのではないか。適材にあらず、適所にあらずと

タヌキは申し上げる。

 

 

 

 

タヌキの平常心  43

 

新天皇のパレードが終わった。皇室の皆さんご苦労さま。

 タヌキは今の皇室ファンであるから、雅子妃の美しい笑顔と涙に

 感動する。しかし・・

 

前日の(嵐の)イベントが終わり、前衆議院議長のバンザイ3

のあと、間髪を入れず、大向うから(右翼にちがいない)「バンザイ」

 の声がかかり、それはしつこく続いた。歌舞伎座公演じゃあるまいし、

公の行事に対する妨害行為ではないのか。警備の人たちはこれを

 止められなかったのか。3唱で止めるから締まった展開になるので、

 右翼主導のバンザイなどウザイ限りだ。そう感じた人は多いのでは

なかろうか。

 

それはそうと、一夜限りの新嘗祭関連の国事に24億円の税金が使われ、

イネの神様のたたりを恐れてか、ニッポン全国圃場整備が長年に渡り

 行われ、徹底した「雑草撲滅」、農道整備、農業への莫大な補助金、

 結果、コメは余り、飽食の世の中となった。余った食品は捨てられる、

 その量は莫大なものだそうな。

 

秋の田舎へ行く楽しみは、道端の柿の木や果樹や、小菊やコスモス、

 秋草の咲く道端の草むら、小川の生き物や、木の実をつつく鳥の

 姿など・・それも今はすっかり消えてしまった。

 最近の豪雨被害で、国庫からの災害救助費は莫大な額になりそうだ。

 ある若者にそれを言ったら、「予備費があるから大丈夫」とのこと。

 予備費で足りなければ例の「国民のおさいふ」から借りてくれば

 いいさ、と言うのは政治家諸氏。

 

右翼のスピーカーまで使ってお神輿を盛り上げようとする、その

 意図はなにか? 国の安泰? 政権の安泰? もしかして、東條内閣

 での閣僚だったお祖父様に習って、今度こそは長期政権を維持し、

 名宰相と言われたい? 見当違いというもんだ。

 

 

タヌキの平常心 44

 

例の植木いじりの大好きなジイサンの所を通りかかったら、

隣の空き家の庭にに入り込んで、なんかごそごそやっている。

「どうしたんだい、そんなところで」と声をかけると、彼いわく

「この雑草、すごいだろ! うちの庭に侵入して来られちゃ

かなわんからな」。

「やめとけ、やめとけ、家宅侵入罪でとつかまるぞ」

「いいだろ!ボランティアで草むしりしてやってんだぞ」

「どうしてもやりたきゃ、家主の許可がいるなー」

「そうかね、家主はどこにいる?」

「確か川崎の方だぜ。電話してみるか?」

それでおしまい。彼はしぶしぶ楽しい仕事を

諦めて門から出てきた。

 

法律上の常識なんて、真っ先に頭からきれいさっぱり

消えてしまう。朦朧ドライバーが交差点で信号を守ら

ないのはなぜか。 赤信号の意味も、青信号の意味も

忘れてしまっているからだ。

そして、それにプラス「おれさまがまかり通るぞ!」意識や

「歩行者に負けるな」意識が俄然アクセルを踏ませるん

だな。 どうしようもない。

 

 

 

 

タヌキの平常心  45

 

アナグマさんは、外面が良い。いわゆる”レレレのおじさん”状態で、

毎朝門周りの掃除をしている。また、彼の庭にはたいして木が茂って

いるわけでもないのに、落ち葉が良く貯まる。風の吹き具合では、

公園からも大量の葉っぱが飛んできて彼の門前に留まっている。

彼は、朝の散歩をする(イヌ連れの)おばさん方とにこやかに挨拶を

している。泣きながら通る小学生がいれば、「どうしたの?」と声を

かける。

 

だから、近所の若い衆(定年後まもなくの)も、この頃は道路掃除

に出ざるを得ないらしい。彼はこのことも自慢にしている。

「良いことだなー」と。

彼の潔癖症は遺伝的なもので、奥さんに言わせると「チマチマ癖」

で、彼のお父さんも、しょっちゅう戸棚の中をアチコチいじくったり、

床のゴミを丁寧に拾っていたんだそうな。

ゴミ出しも当然彼の御役目だが、これがむずかしい。昨今は分別

がやたら細かくなって、月水土の生ゴミは門前に、、

資源ゴミは月曜に、不燃ゴミは隔週の金曜、「集積所」まで運び、

○○新聞の古紙回収は市の受け持ちではないので、月末の

月曜に「家の前に」出す。

おまけに「フネンゴミ」とはなにか、「シゲンゴミ」とはどれか、

さっぱりわからん。「昔はよかった、ゴミトラックに何でも放り込めば

終わりだ」という。まるであの悪臭までも懐かしいような口ぶりだ。

 

 

 

領収書という領収書は全部ためてある.

 

それを半年分,家計簿に入力して

 

一応無駄は反省して,即忘れることに

 

している.今年のモノイリは,

 

20年間も働いてくれたガス床暖房の

 

室外機と,同じくエアコンの交換で,

 

およそ50万円なり.戸建て住宅の

 

維持費ははんぱじゃない.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

若者が発言すれば,「このガキが何を言うか」.老人が

 

物を申せば「この耄碌ジジイ,妄想をたれながすな,

 

みっともない」とのたもう,何やら育ち過ぎた末成り

 

野菜(柄は大きいが,中身がスカスカ)みたいな中年男が

 

のさばる世の中だ.

 

「改憲までも私物化し」とはアサヒ川柳の1句.

 

己の悲願ならば,ヒトラーに倣って,若者にオオウケする

 

ような大演説,大宣伝をやってみんかい!「適材適所です」

 

ばかり言ってないでさ!

 

 

 

ところで.もう紙数も尽きたとjimdoさんからの通告.

 

今年2020年はお祭り騒ぎの中に,前年の被災者がいまだ

 

取り残されて苦しんでいる,そんな風景は見たくもない.

 

だから年寄りのボケ話もこのへんでおしまい.

 

 

 

 

 

タヌキの平常心

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

万願寺とうがらし

 

2020年は,(キツネどんの予言に

よれば,天罰が下ったんだが,

傲慢な人間どもは,天を天とも思って

いないんだから,始末が悪い.)

 

11月,コロナウイルス第3波とやらで,

感染者が急増した.新政府は経済

の落ち込みを防ぐとかで,ゴーツー・

トラベルやらゴーツー・イートやらの

秘策?を繰り出し,ドヤ顔であったが,

全国規模の病院,医者,医療従事者から

の猛抗議にあって,立ち往生のありさま.

 

トランプ氏は負けたのに,相手の

後出しジャンケンがケシからぬと,

負けを認めず.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

タヌキが30年来愛用のドイツ製鉛筆削り

みてくれは悪いが,何時までも切れ味が落ちないスグレモノ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アンパンマンの目薬入れと

 

銀座GEKKOSO の鉛筆削り

 

長年使っている.

 

 

目薬入れは,内側にめぐすりのキャップを固定するツメがあって,冷蔵庫の中でひっくり返らない.さがしやすい.

 

えんぴつは赤,黒と2種類削れて,

蓋つきなので,一回分の削りかすを

中にためておけるのが,べんり.

 

絵の上手なウサギさんのスケッチブックから拝借しました

エプロンに刺繍

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ステンシル

 ハリモグラ